Back to the 1970 あれから40年企画

さようなら蒸気機関車「八高号」

昭和45年(1970)10月4日


雨中の「さようなら列車」を牽くD51515[八](新鶴見より借入れ)

10月4日はあいにくの雨模様だった。何か予定があったのか腰が重かったのか結局この「八高号」の運転は撮りに行かないことにしていたが、どうにも我慢ができなくなって「せめて上り列車を拝島か八王子あたりで撮ろう」と思い直し、カメラを片手に家を出た。そして何故か小宮駅(多分)で列車を待ち、進入を撮影後「乗るかい?」と駅員の方に言われて結局この列車に乗車して終着八王子まで短い「さよなら列車」の旅を味わった。


※「さよなら列車 八高号」は八王子〜高麗川を以下の時刻で運転された。
下り9823レ 八王子11:10→高麗川12:43 上り9824レ 高麗川14:05→八王子15:19


テンダにも「ご苦労さん」の装飾が キャブの区名札も[八]がきちんと入っていた

記念入場券と新聞記事

東京西局発行の今回の記念乗車券と入場券(各一種)画像は入場券

西局発行の記念乗車券はC58の、入場券はD51重連の走行写真が図柄で、裏面にお別れ文と簡単な両型式の説明が入っていた。図柄の写真の印刷が不鮮明で色ズレなどもあり、ファンには少し不満の残るものであったと記憶している。

10月2日(金)付の朝日新聞の記事。昨9月27日の運転の模様と10月4日の運転の記事

車内の出入口のあたりにもさりげない装飾が

この「八高号」のさよなら装飾はたいへん好ましいものだった。正面のヘッドマークの色も機関車にあっていたし、前照灯脇の日の丸の小旗、テンダに掲げられた紙のカーネーションで囲まれた「ご苦労さん」、テンダ後部にもモールで「八」の字の飾りなど適度なものでありながら良きアクセントになっていた。また画像にはないが最後尾の客車に取り付けられたバックサインも大きな円形で周辺にモールなどを施し風になびいていた。車内の装飾も一枚しか(それも画質が悪いものだが)スナップがないのだがこれも心のこもったものだった。すべて字体はつくりも若干拙いが「手作り感」があって整備に携わった人たちの愛情が感じられるものだった。


終着・八王子にて

隣のホームに入ってきたのは上り新宿行「あずさ2号」(当時は上り列車も偶数番号)
大役を終え、機関区への回送を雨中で待つD51515

牽引機プロフィール D51515
昭和16年(1941)3月31日、鉄道省大宮工場製(製造番号28)。この機関車も関東地区を中心に働いたD51で、昭和22年には水戸におり、その後30年代には大宮〜新鶴見と移動し40年代は八王子区に在籍し八高線で活躍した。八王子区のD51の運用は昭和45年初めに終了しており、同機も最後の職場として新鶴見区へ移動していった。このさよなら運転時には八王子区にD51は残っていなかったので直前まで働いていた同機が選ばれ、借入れというかたちで「八」の区名札を付けて役目を全うした。運転後は再び新鶴見区に戻りそこで11月28日付けで廃車となった。廃車後は水戸・大宮時代に縁があった水戸市の公園に保存されている。
なお同機は昭和40年前後に大宮区に在籍していたが、このとき(例:41ー7配置)今回同じく八高線の「さよなら列車」を高崎〜高麗川で牽引したD51631も大宮に配置されており、「同じカマのメシ」を食った仲間であった。廃車日も昭和45年11月28日と同じ(515新鶴見区・631高崎一区)である。

八王子区最終期の配置D51(昭和42年末現在)
D51141、506、515、646、670、911

141は高崎一に移動して無煙化後45年11月28日に廃車
506はそのまま八王子にて43年10月17日に廃車
515は新鶴見に移動して八王子区に貸し出されさよなら運転後、新鶴見に戻って11月28日に廃車保存
646は亀山区に移動して関西本線で活躍後、47年4月28日に廃車
670はそのまま八王子にて45年4月30日に廃車
911は遠く山陰方面の小郡〜長門区と移動して48年度に廃車


八高線のさよなら列車の運行はこれで終了し、いよいよあと6日後の10月10日からは「東京駅から蒸気機関車」が発車するという一大イベントが始まる。「本当に最後だ」という想いと撮影にいきたい、という高揚感がわきあがってくる1970年の秋であった。

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