この「さよなら列車」の運用は横浜港に着いた後、客車を置いて機関車は転向のため東横浜の旧横浜機関区(高島機関区)まで逆向きで戻り、ターンテーブルで転向してまた逆向きで横浜港へ向かい上り列車となるものだった。そのため高島〜横浜港の間にもその姿を収めようと多くのファンがカメラを構えて待っていた。
帰りの列車もやはり横浜付近の港の風景をバックに鉄橋で撮影することにした。なけなしのカラーフィルムを使うことにしたので無駄なスナップなどはできない。適当な場所を見つけて待つことしばし、本当の最後になった「さよなら列車」がやってきた。
この列車の品川到着(正確には新鶴見区への回送)をもって、この秋(昭和45年)の「首都圏蒸気機関車さよなら運転」のイベントがすべて終了し、車籍はともかくとしてこれで東京・神奈川などから蒸気機関車の姿は完全に消えてしまった。
D51791
昭和17年(1942)10月28日、三菱重工業製(製造番号356)。高島線無煙化まで終始新鶴見区を離れなかったという由緒あるカマで、まさに「さよなら列車」牽引にふさわしいD51だった。このさよなら運転後に秋田県の大館区に移動し、奥羽本線北部を最後の職場とし、転出後ほぼ一年たった昭和46年(1971)10月26日に廃車となった。残念ながら保存にはならず解体されて現存しない。なお同機がこのさよなら運転時に装着したヘッドマークはJR東日本に保管され、時折品川あたりのイベントなどで展示されている。
※新鶴見最後の配置D51(昭和45年6月現在)★は保存されているもの
130、188、207、★296、★408、448、★451、★515、★516、646、652、723、786、★774、791、810(6〜9月のうちに廃車や転出してしまったカマ、また新たに転入して最後の働きをしたカマもあった)
なお同機の前後の兄弟機のうち、弟の792・793号がそれぞれ愛知県・滋賀県に保存されている。またふたつ上の兄789号の動輪が新潟県に保存されている。
八高・高島線のその後の蒸気機関車運転
この無煙化による「さよなら運転」が終了した2年後の昭和47年(1972)10月、今度は「鉄道100年記念」として両線にまた再び煙があがった。前回と同じく管理局別(共催)の運転で、10/8、10、15、22、29に高崎局と東京西局が高崎〜高麗川〜八王子をD51498(坂町区より借入れ)で、東京西局が八王子〜高麗川〜高崎をD511002(酒田区より借入れ)で運行(逆の日もあり)。東京南局の高島(東海道線)は10/14、15に汐留〜東横浜〜品川をC577(和歌山より借入れ)で運行された。その後各地での蒸気機関車動態復元もあって1988年の横浜博ではC581が高島貨物線を走り、 さらにJRになってからの動態復元されたD51498によるイベント列車などが八高線を走った。(京葉線など他線での運行もあり)