831列車とはーハンドルネームの由来

私のハンドルネームである831列車という名前の由来はもちろん列車番号であります。
旅や鉄道・蒸気機関車に関したもので何かをと考えた末、思い入れのある蒸気機関車牽引の客車列車からとることにしました。
つまり自分がかつて何回か乗車して愛着のある列車ということで、記憶をたどったところ「831」という番号の付いた列車(それもすべて蒸機牽引)が頻繁に出て来ました。私が蒸機を追いかけていた頃の昭和45ー47年にかけて全国で走っていた「831」の付くSL旅客列車は4ー5本ありましたが、私のもっとも印象に残っていたのが中央西線の831レで、蒸機牽引区間の中津川を15時半頃に出て終着・塩尻には18時40分に到着していました。夕暮れの木曽路をD51に牽かれて走るこの列車こそ、私が意識して乗った初めての蒸機牽引列車だったのです。そしてこの列車は私が乗車するたびに常に重連になっていたのも嬉しいものでした。

上松駅の831レ 昭和45年12月 D51849[中]
また山陰本線の831列車も好きな列車でした。列車自体は豊岡を早朝に出発し門司に23時頃着くという、一日ほぼ山陰をひた走っていた長距離鈍行でしたが、他にも多くの鈍行があった山陰の中で特にこの列車の思い入れがあった理由のひとつは、当時もちろん出雲市→下関間がSL牽引(出雲市→浜田 C57、浜田→長門市→下関 D51)だったことがありますが、何と言っても走る時間帯が良かったことです。季節を問わず、この831レは浜田を16時過ぎに出発すると次第に夕暮れが近くなり、美しい山陰西海岸に落ちる真っ赤な夕陽を車窓からながめつつ汽車に揺られることが出来たからです。撮影よりも「乗る楽しみ」を味わう事のできた『山陰のサンセット・トレイン』がこの831レだったのです。
山陰本線831レ 昭和47年8月 田儀駅 C5776[浜]
そしてもうひとつ九州の南、肥薩・日豊線の831レがあります。吉松を14時に出るこの列車は長年同区のパシフィック機の牽引で、45年頃までは有名な吉松のC55が牽いていました。その後鹿児島区のC57に運用は移りましたが、私が乗車した時はかつての梅小路の名機・C5739が牽引してくれました。錦江湾を手前に桜島を望む頃はようやく夕暮れが近付く時間で、これも美しい車窓とともにあった列車でした。46年以降は「日本最南端のSL牽引旅客列車」でもあったわけです。

吉松駅で発車待ちの肥薩線831レ 昭和47年3月 吉松駅 C5739[鹿]
というような理由で私のHNは「831列車」としたわけです。
ちなみに46年時点での他のSL牽引の831レは、羽越本線の鼠ヶ関→酒田(D51[新]牽引)と九州・室木線の最終下り(8620[若]牽引)の2本がありました。もっとあったかもしれませんが確実なのはこれら5本となります。

831レ 時刻(昭和45年ー46年現在・時期によって若干の時刻変更あり)

中央本線831レ 名古屋→中津川→塩尻
 中津川15:26→塩尻18:40 D51[中]※木曽福島→塩尻に前補機D51[木]連結の場合あり
 蒸機牽引は46ー4で終了(その後も臨時で牽引することがあった)
山陰本線831レ 豊岡→門司
 出雲市13:21→浜田16:17 C57[浜]、浜田16:28→長門市20:22 D51[長]
 長門市20:29→下関22:35 D51[長]
 蒸機牽引は一部を除いて47ー3で終了
肥薩・日豊本線831レ 吉松→西鹿児島
 吉松14:00→隼人14:55/58→鹿児島→西鹿児島15:45 C57[鹿]
 蒸機牽引は48ー4で終了

トップページの写真も昭和45年12月に乗車した中央西線831列車のものです。一枚目の上松でのスナップでは中津川から牽引してきたD51849号が先頭ですが、木曽福島よりこの921号が前に付いて重連となり塩尻へ到着しました。
再び乗った木曽路の831レ 昭和46年5月 塩尻駅 D51849[中]

※当時すでに中央西線の定期旅客列車はDL化されていたが、この時も木曽福島から先頭にD51が付いてくれた。牽引機は前回もお世話になった849号機。

45年末時の中央西線時刻表より
山陰本線831列車から眺めた日本海の夕陽

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