Back to the 1972 あれから40年その6

 10月15日その2  

南武線浜川崎のクモハ12+クハ16の2連 昼下がりの静かなたたずまい

14、15日は東京南局の東京機関区公開は残念ながら時間の都合で行く事はできませんでした。15日、この日の行動は記録が紛失しているのでよく覚えていないのですが、ネガの順によるとまず田端機関区の公開を見て上野で都電を撮影後、記念列車の上りを撮影するため沿線のどこかへ行こうとたぶん鶴見あたりで下車したのだと思います。南武支線のクモハ12などを浜川崎で撮っているのでそのあたりから東海道線の方へ行き、そこで横須賀線の電車や157系の特急「あまぎ」などを撮り、本番のC577の列車を迎えました。本線には多くのファンや一般の人がカメラを構えており、恐ろしいほどの線路内進入状態で、いまでは考えられない状況だったのをここでも思い出します。

ホームの雰囲気はいまもあまり変わっていないのだろうか

さて南武線浜川崎支線ですが、当時も通常は←浜川崎クハ16+クモハ11→尻手の編成で運行されており、 この写真を見ると浜川崎方がクモハ12になっています。なにか検査などの都合で変更されたのかと思います。

八丁畷駅から発車していく列車 高架下には京浜急行や東海道線がある

調べなおしてみたら撮影したのは川崎ー鶴見間でした。やはりここが通過時間もわかりやすく何かのガイドでも見て 選んだのでしょう。川崎か鶴見で降りて鶴見線か南武支線でいっかい浜川崎まで行き、国電をスナップしたから八丁畷まで戻り、そこで東海道本線沿いに歩いて適当な場所でカメラを構えたとすればだいたいネガの記録とあうのです。


上り記念列車を撮る

見上げると南武支線を貨物列車が通っていた
横須賀線の列車も頻繁に通るがすで線路際には人が
157系「あまぎ」も今日は主役ではなくカメラテストの格好の被写体だった

上り列車が東横浜を15時02分に発車し、鶴見に15時半ということなのでこのあたりは定時なら15時20分頃通過の予定でした。沿線のファンや一般の人は増えるばかりで、天下の往来・東海道本線上に集まりだしたのは正直怖いくらいでした。さすがに線路内には入る事はしませんでしたので端の方で撮影することにしましたがこればかりは人をいれずに撮るのは難しく、記念列車とはこういうものだと記録としてシャッターをきった感じになりました。


逆光のなかC577の牽引する列車はやってきました
この線路際のひとたちの姿をみるともうこんな運転はここでは無理なのかなあと思ったものでした
多くの「賑わい」を残して品川へと列車は走り去っていきました

梅小路蒸気機関車館の蒸機が表紙を飾った時刻表1972年10月号

これで東京周辺の大きな100周年イベントはほぼ終了し、また夏から続いてきた各地の記念SL列車の運転なども一段落(八高線は22・29の運転がまだ残っていましたが)したのでした。しかし余裕のあるファンはこのあとさらに大きな鉄道イベントが待ち構えていたのです、梅小路保存後さっそく動態運転を始めたC622の「SL白鷺号」などが目玉でしたが、やはり10月20・24・25日に南九州で運転された鹿児島太陽国体でのお召し列車でしょうか。蒸気機関車牽引ではおそらく最後になるであろうと言われたこの運転にも多くの鉄道ファンが訪れたといいます。こうして鉄道100年とともに多くの記念行事が行われた昭和47年(1972)の秋が続いていくのでした。


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