C57も昭和17(1942)年度製造の169までは基本的に「型式入りナンバープレート」を装備して登場したはずである。戦時供出などでそのほとんどが失われたはずであるが、実際は主に正面のものなどが残されていたことがあった。(戦後の復旧でその当時の担当工場のセンスで1枚だけ旧型式で復元されたケースもあると思われるが)
この「第一の波」を乗り切ったカマも戦後整備の際、新タイプの型式なしのものに変更されものが増えた。C571号も昭和25年頃まで正面は型式入りであったがこの例によるものだろう。この「第二の波」は地域によっていろいろだが、昭和30ー40年代にあったようである。
その第二の波をも乗り越え、SLブームも渦中となった昭和40ー45年以降も「型式入りプレート」を輝かせて我々の良き被写体となったC57の中には梅小路の名機・5号など数例に過ぎなかった。こういった「型式入りプレート」が晩年まで残されていた理由などを考察するため主な「晩年まで型式入りプレートを残していたC57」の経歴(配置区の変遷)をまとめてみました。

静態保存機は5号機のみ(普通プレートでの展示)、※が晩年まで型式入りプレートを残していたカマ(廃車時までとは限らず)、◆は昭和40年代または戦後の記録で装備が確認できるもの。交通博物館展示分および新大阪駅展示(155)は現役装備時の姿は未確認のため未記入。

原町→原ノ町、宇都→宇都宮、直江→直江津、高崎→高崎一、名古→名古屋、福知→福知山、梅小→梅小路、紀田→紀伊田辺、下関→下ノ関、門港→門司港、鹿児→鹿児島の略

「位置」の内訳 「正面」ー煙室扉正面、「側面」ーキャブ、「テ」ーテンダ、「交博」ー交通博物館展示で元取付場所は不明、「複数」ー2箇所以上に残っていたもの(確認できたもの)

番号位置15年16年20年21年24年25年30年32年35年廃車日・区
5※正面宮原宮原金沢金沢金沢金沢金沢福知金沢490706浜田
9◆正面広島広島門港門港門港門港門港門港鳥栖490620宮崎
13交博小郡下関原町原町原町仙台仙台仙台秋田431101新津
15※複数名古金沢金沢金沢金沢金沢金沢金沢金沢46 梅小
16交博名古金沢金沢金沢金沢金沢金沢金沢金沢430920名古屋
20交博小郡下関水戸水戸水戸水戸水戸水戸水戸420914平
21※正面小郡下関鳥栖鳥栖鹿児鹿児鹿児鹿児鹿児461020鹿児島
32交博宮原宮原鳥栖鳥栖鹿児鹿児鹿児金沢富山440904名古屋
34※側面米原米原金沢金沢金沢金沢金沢金沢金沢480726浜田
36◆正面米原米原高崎高崎高崎高崎名古豊岡福知461020宮崎
47※正面宮原宮原水戸水戸水戸水戸水戸水戸水戸450528米子
49※正面下関下関鹿児鳥栖鹿児鹿児鹿児鹿児鹿児471107宮崎
54◆正面下関421012 平
55※正面下関下関水戸水戸水戸水戸水戸水戸水戸440410佐倉
59※正面宮原宮原宇都宇都宇都宇都宇都直江直江450409新小岩
63◆正面梅小梅小宇都水戸千葉421214浜田
68※正面岡山下関原町原町青森仙台盛岡盛岡盛岡470501紀田
69◆正面           
70※正面水戸水戸水戸水戸水戸尾久宇都新津新津440410佐倉
71※正面水戸水戸尾久尾久尾久尾久尾久441211佐倉
72※正面水戸水戸水戸水戸水戸千葉鳥栖鹿児鹿児490612鹿児島
75◆正面金沢金沢金沢金沢金沢金沢金沢金沢金沢43 豊岡
153テン姫路鳥栖鳥栖鹿児鳥栖鳥栖鳥栖鳥栖431221早岐
155鳥栖鳥栖鹿児鳥栖鳥栖鳥栖鳥栖49 宮崎
番号位置15年16年20年21年24年25年30年32年35年廃車日・区

下表へ続く


番号36年40年44年45年46年47年48年49年廃車日・区
5 金沢福知梅小梅小梅小浜田浜田浜田490706浜田
9 長崎早岐人吉人吉人吉人吉人吉人吉490620宮崎
13新津新津××××××431101新津
15金沢梅小梅小梅小梅小×××46 梅小
16金沢名古××××××430920名古屋
20 ××××××420914平
21鹿児鹿児鹿児鹿児鹿児×××461020鹿児島
32富山名古名古×××××440904名古屋
34金沢豊岡豊岡豊岡豊岡豊岡浜田×480726浜田
36福知福知宮崎宮崎宮崎×××461020宮崎
47浜田浜田浜田××××450528米子
49鹿児熊本宮崎宮崎宮崎宮崎××471107宮崎
54××××××421012 平
55水戸佐倉佐倉×××××440410佐倉
59直江直江佐倉新小××××450409新小岩
63米子××××××421214浜田
68青森米沢新庄新庄新庄紀田××470501紀田
69          
70新津新津佐倉×××××440410佐倉
71尾久田端新小×××××441211佐倉
72鹿児鹿児鹿児鹿児鹿児鹿児鹿児鹿児490612鹿児島
75金沢金沢××××××43 豊岡
153鳥栖早岐××××××431221早岐
155鳥栖早岐早岐早岐早岐早岐宮崎宮崎49 宮崎
番号36年40年44年45年46年47年48年49年廃車日・区

主なカマの印象

C575 梅小路の名機、「型式C57」唯一の保存機だが、梅小路退役後の移動でなぜか普通形に換えられてしまい当時のファンをがっかりさせた。
C5715 同じく梅小路最後のC57の1両であったが、キャブとテンダのプレートが型式入りだった。
C5734 播但線で活躍していた重装備タイプだったがこちらも型式入りはキャブに見られた。5・15・34ともかつては北陸地区で働いており、担当の松任工場になにか関係があるのかもしれない。
C5749 生涯のほとんどを九州内で過したC57でありながら門デフなどの改造を受けずに標準スタイルでを保っていた。南九州などで晩年は21や72などとともに「型式入りC57」として人気があった。
C5755・71 いずれも最後は房総地区で活躍したカマで、シールドビーム2灯や回転式火の粉止などで形態はいまひとつであったがともにプレートは魅力たっぷりであった。
C57153 西九州が主な働き場所だったが、なぜかテンダにだけ「型式入りプレート」が残っていた不思議なカマ。また三桁ナンバー機としては画像で確認できている唯一のカマ。
C57155 こちらも西ー南九州のC57だが、「門鉄デフ装備の最初のC57」としても有名であった。現役時代の記録では普通プレートのものばかりだが、なぜかいま動輪が展示されている新大阪駅構内にはおそらく本物であろう「型式入り」のプレートが一緒に展示されている。どこかに保管してあったのか謎が深まる。

戦中ー戦後を通じて金沢・水戸局に長く配属されていたものは型式入りの残存率が高いように思われる。交通博物館(のち鉄道博物館)に展示されている15・16・20・32・72などもその仲間であった。


備考

※型式入りを含むナンバープレートについてのいろいろは汽車・電車1971ー(TADA様主宰)の八高ヤードの第5仕業「ナンバープレート話」と「保存展示のナンバープレート」も御覧下さい。


75号機正面の情報はisobe201様よりいただきました


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