昭和46年(1971)9月、小樽築港機関区内(ターンテーブル横)に設置されたが、区廃止などにより移設された。
信頼
お互いに信頼し尊敬し合えることは何と美しいことだろう。
お互いに信頼し尊敬し合えるところに心の扉が開かれ意欲ある明るい人間関係が生まれる。
栄光の機C62の勇退を機に我々国鉄職員はこの両輪の如く労使が互に信頼の軌条の上に立って手を握り信頼し相強力し輝かしい二十一世紀に向かって躍進することを祈念してやまない。
昭和四十六年十月記
第二十二代 小樽築港機関区長 小野寺 静雄
※ほぼ原文のままですが一部見にくい部分がありますので間違いがあるかもしれません。
C6244
昭和23年(1948)12月26日、汽車会社改造(製造番号2570)。種車はD52356(昭和20ー2ー1汽車製 廃車は梅小路区)で東海道本線全線電化に伴い鷹取工場で軽量化改造(32ー3ー12付)のうえ昭和32年(1957)3月14日付で渡道し小樽築港区に配属され函館本線の山線などで活躍。45年以降は僚機2・3・32・44と「2・3・4」の番号でまとめられたナンバー機で最後まで頑張ると思われていたが、会計検査院の勧告などによる経費節減対策として45ー10で呉線で役目を終えた糸崎区の15・16号の転用が決まり、その対象として32・44は役目を解かれることになった。44号は一部の部品(テンダーなど)を譲って45年末に休車となり、「ニセコ」などの最後を見届ける前の46年(1971)6月26日に廃車となった。しかし相前後して築港区でのC62人気の高まりとともに記念碑の建立の話が持ち上がり、C62引退前ではあったが一番の注目を浴びていた2号機(デフのツバメマークにより“スワローエンジェル”の愛称も持っていた)のプレートとツバメマークを埋め込んだ『信頼の輪』という名の記念碑のモニュメントとして44号機の動輪は生き残る事となった。