「鉄道唱歌記念碑」とともに展示されている。
「鉄道発祥の地・新橋」にふさわしく、蒸気機関車の動輪と「鉄道唱歌の碑」がJR新橋駅に展示されている。本来の新橋駅はここから徒歩5分ほどの旧汐留駅跡であり、そこには「旧新橋駅停車場」などの鉄道モニュメントなどもある。
刻印はD5158のようにも見える。58号機も最後は北海道だったが廃車が1969年とやや早かったのでこの動輪が該当する可能性は低いので、まず53号機のものであろう。
D5153動輪 新橋駅汐留口
この動輪はいろいろなサイトでも「C58動輪」として紹介(説明板もC58の動輪で425号機のものと詳細も記されていた)されていたが、動輪径などから指摘を受けたJRがD51のものと確認し、近年説明板の内容ともに変更された。刻印を再確認したところ、向かって右側面に「L3 D5153」のものが確認できたのであらためてこの動輪は最後に北海道で活躍した53号機のものであることがわかりました。あらためてC58425の動輪は果たしてどこかに現存するのだろうか?との謎も残ります。
※弊サイトではこの動輪を「C58425動輪」として掲載していましたが、あらためて「D5153動輪 新橋駅」として変更いたしました。なお今までの画像(C58425動輪)はそのまま残してあります。
D5153
昭和12年(1937)8月7日、川崎車輛製造(製造番号1811)。
新製配置は田端区で関東地区を中心に活躍ののち、昭和30年(1955)に一転北海道に移動、岩見沢区に配属される。その後は一時的な貸し出しをのぞくと終始同区(→岩見沢一区)を離れず、蒸機最終年まで生き残り、昭和51年(1976)3月1日に廃車となった。
エピソード
同機のひとつ下の弟・54号も晩年まで一緒に北海道で働いた仲間であったが。54号は一次型の「ナメクジ」の象徴でもある煙突からドームまでのカバーを切り取り、標準型(二次型)と同じ様に給水温め器を煙突の後ろへ横へ置くという大改造をされた変形機であった。