京急新馬場駅より徒歩10分ほどの公園内に屋寝付きで保存されている。状態は良いとは言えないがすでに35年以上もこの地で過している貴重な保存機である。(撮影当時)
正面・側面ともナンバープレートはなくペンキ書きである。側面の社紋は西武鉄道のものが付いている。なお運転室内は日中立ち入りができる。
説明板も何度か取り替えられているようだ。履歴などの記述はほぼ正確だがこの機関車の流転の変遷を語るには少々物足りない。
ボイラー部には製造ナンバー「1711」を示す立派な銘板も健在。この銘板などによって同機がピッツバーグ社の伊賀鉄道への紹介写真に使われたことも判明している貴重なもの。
平成29年(2017)には同機は御年120歳を迎える。末永い保存を願ってやまない
伊賀鉄道の開業用機関車として 米国ピッツバーグ社に発注された3両のうちの1両。1897(明治30)年に製造されそのうちの製造番号1711のものが「No3」を名乗った。製番1709ー1711がそれぞれ1ー3となったが発注元の伊賀鉄道は開業に至らず解散になり「注文流れ」となる。当3号機は結局
1899(明治32)年阪鶴鉄道へ譲渡され同線のNo13となった。その後1909(明治42)年阪鶴鉄道の国有化により型式2850の2851と改番、1912(大正12)年廃車となり播丹鉄道へ譲渡、No8となった。
1943(昭和18)年播丹鉄道の国有化により再び2851となるもすぐに廃車となり西武鉄道(旧)へ譲渡されそのままNo8を名乗るが後に7と改番。西武では非電化であった国分寺ー東村山などで使用され、その後は所沢周辺の米軍専用線などで使用された。1962(昭和37)年傍系の上武鉄道へ譲渡、7号機のまま1965(昭和40)年11月頃まで活躍する。そして1969(昭和44)年に廃車後、東京都品川区の東品川公園に静態保存された。
略履歴・エピソード
1897(明治30)伊賀鉄道の開業用機関車として 米国ピッツバーグ社にて製造。製造番号1711のものが「No3」を名乗る。
1899(明治32)No3は阪鶴鉄道へ譲渡されNo13となる。
1909(明治42)阪鶴鉄道の国有化により型式2850の2851と改番。
1912(大正12)廃車となり播丹鉄道へ譲渡、No8となる。
1943(昭和18)播丹鉄道国有化により再び2851となるもすぐに廃車となり西武鉄道(旧)へ譲渡、そのままNo8を名乗るが後に7と改番。
1962(昭和37)上武鉄道へ譲渡、7号機のまま稼動。
1969(昭和44)廃車後、東京都品川区の東品川公園に静態保存される。
伊賀鉄道1ー3の変遷
伊賀1(製番1709)→阪鶴12→国鉄2850→駄知鉄道
伊賀2(製番1710)→尾西2→国鉄2852→北九州鉄道
伊賀3(製番1711)→阪鶴13→国鉄2851→播丹8→国鉄2851→西武8→西武7→上武7
このうち尾西2となった2号機は国鉄2852となったが、この時交換で尾西に来た1Bタンク機の1両がのちに明治村に保存され、さらに動態復活した12号機である。
昭和50(1975)年にリリースされたフォークソングに西岡たかし氏が歌った『上野市(うえのまち)』という曲があります。この唄は彼がソロになってからのスマッシュヒットで、近鉄伊賀線と沿線の中心・伊賀の上野市の情景を楽しくほのぼのと歌い上げているものです。その曲中の3番で「♪昔は走った陸蒸気ー」というフレーズがありますが、この唄の舞台となった近鉄伊賀線(現・伊賀鉄道)は、大正5年(1916)8月、伊賀軌道として開業、徐々に線路を伸ばし伊賀鉄道への改称などを経て現在の姿となっています。
大正15年(1926)に早くも全線電化となりますが、それまではもちろん蒸気動力を使用していました。その当時の機関車はもうどこにも残されていませんが、この東品川公園に保存されている「西武鉄道7号機」は元をただせば伊賀鉄道の開業時に発注された機関車なのです。ただしこの鉄道は前述した通り正確には現在の伊賀線とは別の企業体であり、計画路線も一部異なっていて結局未開業に終わった「幻の鉄道」だったのでしたが・・。その後このカマは阪鶴鉄道13→鉄道省2851→西武鉄道6→上武鉄道7と渡り歩いたのです。もし前・伊賀鉄道が無事開業していたら、この機関車が「♪昔は走った 陸蒸気」になっていたことでしょう。