保存 C12199

C12199 長野県塩尻市奈良井 奈良井宿観光駐車場奥に保存 2019年7月

長い間「木曽路のD51」ともに働いてた木曽福島区のマスコット的存在だったカマで、当初は奈良井公民館に保存(保存時は長野県木曽郡楢川村奈良井)その後現在地に移転、住所も2005年4月に塩尻市に編入された


後部 こちらもすっきりと整備されている こう見ると小型でも迫力
正面 水タンクが見えない位置からだとやはりC56と区別がつかないキャブ周り
キャブには入れないがなぜか柵の一部にスロープがあって動輪部分を観察できるような仕様に見えるが、このしたを用水路が通っている関係かもしれない。機関車側は「ならい」の駅名標で反対側が説明板になっている
簡潔で明瞭な説明文 塩尻市になってから新たに記されたものだろうか 今年(2025)で設置50年を迎える

C12199

昭和13年(1938)10月、日本車両製(製造番号656)、主に北陸・中部地区を中心に働いた。飯山などを経て昭和30年代に兄弟機198と木曽福島に転入。僚機は変わりつつも中央西線の無煙化後も入換作業などで残り昭和49年7月に廃車となった。同機の特徴は同僚だった198(44年に廃車)とともに「デフ付き」だったことで通常C12には装備されないもので他には数両にしか見られないものであった。また入換仕業のため煙室とデフの前面、テンダ後部が警戒色(トラ塗り)になっていた。199号の仕事は木曽福島機関区内の入換が主な仕事で上松駅での作業以外に本線を走る運用はなかったが、冬季には飯山線の「戸狩スキー号」などの牽引に駆り出されることもあった


エピソード
昭和40年代の木曽福島区と上松の入換仕業は長い間同区のC12が担当していたが、当時働いていたC12198と199の「デフ付きコンビ」のうち、昭和44年(1969)に198が廃車となり、代わりに昭和43年(1968)10月に宇和島から82が転入、3年ほど199とコンビを組んだが82は46年3月に引退、今度は上諏訪から47年に171が入り一年ほどの仲間となった。さらにその後は厚狭区から164が48年3月に転入したがわずか半年余りで役目を終え(同年9月20日廃車)その代わりに同年11月3日に中津川からC12230が転入、230は八ヶ月ほど働いて翌年7月に廃車。199はこれら多くのC12の同僚と過ごしながら230と同じく昭和49年(1974)7月18日に廃車となった。木曽福島の仕事を最後に引き継いだのがC56124で、49年4月7日に七尾区からやってきた。これが木曽福島区の入換蒸気機関車の終焉となった。 なおこのメンバーのうち、C12171・164・230・C56124は廃車後保存されている。


現役時代のC12199

木曽福島駅で休息中の199号 昭和45年(1970)12月
木曽福島機関区で入換作業中 199号はこの姿が一番似合っていた 昭和48年(1973)3月
こう見るとなかなか整ったスタイルの機関車だった ランボードに白線が入ってちょっとオシャレ

木曽路の女王特急「しなの」のキハ181系とともに 昭和47年(1972)5月
上松での入換作業のため単1682レで到着 1972年5月

この運用は47年10月のダイヤでは木曽福島1353発・単1682ー上松1412、上松1529・貨873レ(本務D51・後C12)ー木曽福島1545だった


上り列車の車窓より 駐車場の奥なので大型バスなどが駐車していない時だけ撮影のチャンスがある

木曽福島のC56とC12

最初の訪問当時(1970−12)、199の相方はC1282だったがすでに休車になっていて(おそらく廃車前提の二休)給水塔の横に留置されていた。その代わりと思われるのが庫内にいたC56102で上諏訪区からの借入機だろう。おそらくC1282(46ー4ー17付で廃車)の代替機へのつなぎとして待機していたものと思われる。しかしながらC12199がよく働いていたためかあまり稼動した記録がなく、結局同じ上諏訪からC12171が正式に転属してきたため、特休のまま返却されてしまった。その後の福島区の入換え機として何両かのC56が転入(借入?)した記録があるが、この102号の画像はあまり見られない。なお趣味誌『蒸気機関車』13号(71ー5月号)は木曽路のSL特集だが、この中の機関区めぐりで福島のC56102の姿が掲載されている。

給水塔の横に後部が見える休車中のC1282[木]
庫の中にいたC56102[諏]

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