廃車後品川区の公園に昭和45年に保存設置されたが1990年代になって老朽化のため平成3年(1991)に解体された。
解体されたC127の部品の一部はは大井川鐵道に譲渡され動態保存車の部品に転用されるなど活用されている。また解体された後の同地にはその記録を残すため、保存されていた経緯を記した説明板が建てられている
C12 7
昭和8年(1933)2月、汽車会社製造(製造番号1188)。会津若松から北海道に渡り、本州へ戻り北陸へ、また北海道に戻るなど移動を繰り返したが、昭和30年代に三たび本州へ転出し主に軽井沢(横川区の支区)の構内入換えなどに従事。最後は高崎一区にて足尾線などで活躍し、同線の無煙化を待たずに昭和45年(1970)6月に廃車となった
エピソード
一桁ナンバーのC12は2・5・6・7が保存されたが、同機を除いた3両はまだ保存地で健在である。
現在「SLもおか号」としてC1266が動態保存運転されている真岡鐵道の拠点・真岡駅にかつてC12を模した機関車の模型が1番線に展示されていた。ありあわせの材料(バケツの煙突など)を用いたものだが結構大きく迫力があった。そしてなぜかこの模型のナンバーが「C12 7」になっていたのだが、真岡鐵道の前身「国鉄真岡線」は確かにC12の運用線区だったが7号機が配置された記録はない。なぜこのナンバーにしたのかいまだに謎である。またこの画像の撮影は平成3年(1991)2月なのだが「SLもおか」の運転開始は平成6年(1994)3月27日からなので、まだその3年前のことである。ただすでに66号の復活の計画が進んでいたためだろうかそのPRも兼ねて製作されたのだろうと推測する。(66号の保存地からの復元工事が決まったのが同年9月のこと)