教育機関の庭にありながら保存というより「放置」に近い状態だった。元・大宮工場の入換機で生涯を終えたものの、廃車ー保存が比較的早かったこともあって存在を忘れられるのも早かったようだ。窓の打ち付けなど荒廃を押さえる処置も見受けられるが、最近の事ではなさそうで、プレート類もレプリカがあるだけましといった感じである。
※同機はその後若干の整備を受けており、現在は荒廃ー解体の状況には至っていない。拙作『C12保存機 大いに語る』 (TADA様主宰の「汽車・電車1971ー」に掲載)より85号の発言の部分を抜粋
「・・・・・あぁ、これは痛々しい、85さん大丈夫ですか?」
85(S9汽車 44大宮工廃車 埼玉県和光市第四小学校保存?)「ええ、なんとかやってきました。とはいってもとても皆さんにお見せできるような体ではなくてお恥ずかしい限りです。(と、からだのあちこちをさする)」
164「これは、なんといっていいのか・・・各地の静態保存機ななかにはそうとう酷い状態になってしまっているものが多くなっているとは聞いていましたが、85さんもそうでしたか。」
85「まあ・・・、保存に尽力していただいた方々には何もいうことはないのですが、その目的・場所や保存後の維持などが曖昧だと私みたいな『放置』になってしまうのでしょうけれど、もうあとどれくらいC12の姿をしていられるかわからないので、この現状を伝えたくて頑張って今日はやってきた次第です。一応簡単な履歴を申し上げておきますと、戦前から30年代初めまで木更津にいて、久留里線などを走り、その後は大宮工場の入換機となりました。今日お見えの29さんの同僚ということになります。こんな地味な生涯でしたので、あまりファンの方に写された記憶はありません。44年に役目を終えた時、29さんとともに早い時期にもかかわらず、保存されたまではよかったのです。場所は北足立郡成増町(現・埼玉県和光市)の小学校で、チビッコの教材と遊び相手なら楽しい余生を送れると思ったのが間違いでした。校庭の片隅で柵も屋根もなく、いつしか子供たちにもあきられ、先生などの目の届かない所だったので、部品もなくなり御覧の通りです。」
29「久し振りに会えたと思ったら、85さん、ぼろぼろじゃあないですか。ロッドの赤色は目立つけど(85の回りをぐるっと見て)、うわぁ蜘蛛の巣まではっている!一体管理の方は何をやっているのでしょう。説明板もないし、何のために85さんがここにいるのかさえわからない・・・・。あまりにひどくて(涙)。」
164「小学校内ということで、昨今は見学もあまり自由にならないとはいえ、ここまで放置状態だとファンの方もなかなか来てくれないでしょうねえ。」
85「でも反面教師ということで、ぜひこの保存の実態を多くの方に見て頂きたいために私は出席しましたので、皆さんこの体の状態を伝えてやってください。カラーン、カラーン!」
29「おっ、その音は工場時代に付けられた汽笛代わりの鐘ですね。それは残っていましたか。ええ私のもありますよ!」
164「貴重な特徴のある設備が残っていたのはお互いに良かったですね。その鐘の音は保存の在り方に対する現代社会への警鐘としたいものです。」ー以下略