保存時は「東筑摩郡明科町」 2005年に周辺と合併して現在は「安曇野市」
JR篠ノ井線、明科駅から300mほどの公園内に保存、SLブームの頃には七尾区に在籍し、七尾線の4両の「形式入りプレートのC56」の一員として人気を博した。連番の僚機(123・124・153・154)は123の動輪を除いて解体されてしまったが、同機は木曽福島に転じて蒸気機関車最末期の昭和50年まで活躍し、C56形式の最終現役車としての掉尾を飾った。(一部動態保存機を除く
C56124
昭和13年(1938)3月、三菱重工製(製造番号222)。当初は中国地区に配属されたが戦前に早くも七尾区に移動し七尾線で長く働く。同僚の3両とともに「型式入りプレート」の能登のシゴロクとして人気を集め、晩年にはイベント列車の「ふるさと列車おくのと号」も牽引した(お別れ運転時のみ)。昭和49年3月の同線無煙化により4月に木曽福島に転出、機関区と上松などの入換仕業に従事し昭和50年(1975)3月18日に廃車となった。
エピソード
昭和40年代の木曽福島区と上松の入換仕業は長い間同区のC12が担当していたが、当時働いていたC12198と199の「デフ付きコンビ」のうち、昭和44年(1969)に198が廃車となり、代わりに昭和43年(1968)10月に宇和島から82が転入、3年ほど199とコンビを組んだが82は46年3月に引退、今度は上諏訪から47年に171が入り一年ほどの仲間となった。
さらにその後は厚狭区から164が48年3月に転入したがわずか半年余りで役目を終え(同年9月20日廃車)その代わりに同年11月3日に中津川からC12230が転入、230は八ヶ月ほど働いて翌年7月に廃車。199はこれら多くのC12の同僚と過ごしながら230と同じく昭和49年(1974)7月18日に廃車となった。木曽福島の仕事を最後に引き継いだのがこのC56124で、49年4月7日に七尾区からやってきた。これが木曽福島区の入換蒸気機関車の終焉となった。
なおこれらのメンバーのうち、C12171・164・199・230は124と同じく廃車後保存されている。
同機と同じC56の120番台は遅くまで残っていたものも多く、廃車後保存されてるものも多い。126が小淵沢に、129が飯山に保存されているほか、能登の同僚であったひとつ上の兄機123号も保存されたがその後解体され、動輪などが七尾に保存されている
主に七尾線時代のものを掲載しています 昭和46年(1971)8月 撮影