小海線で長く活躍したC56の1両。大糸線白馬駅から3キロほどのところにあるキャンプ場内の森林に保存(放置?)。バス便もあるが少ない。なお近くに「倉下の湯」と言う日帰り温泉施設がある。
遠景からだと各部品や一定の塗装などは欠損が少なく(キャブ周りは除く)全体的に整った姿に見えるのがせめてもの救いだろうか
C56150
昭和13年(1938)6月、三菱重工神戸製造(製造番号232)。戦前は主に東北地区に配属され、若ナンバーの戦地供出などに伴い昭和17年に中込区に移動、以来同区を離れず小海線の無煙化の昭和47年秋まで生涯のほとんどをここで過ごした。その後山陰の浜田区に移り三江線や入換仕業を勤め昭和50年2月17日に廃車となった。廃車後は「小海線ゆかりのC56」として故郷信州に戻り同地に保存された。※画像では機番は分かりませんが、このあとの野辺山などでのスナップや運用で150号だと判明しています。ちなみに約1年前の昭和46年3月に清里ー野辺山間で上りの「八ヶ岳スケート号」を撮影した時の牽引機も150号でした
晩年の小海線の中込機関区には4両のC56が配置されファンの人気を集めていた。そのメンバーは144・149・150・159で47年10月の無煙化までほぼ欠けることなく働いていた。そんなある日、同日同時間帯に中込に4両全てが揃うシーンが見られた。この時間帯には小海線のどこにもC56はいないはずで珍しいことではあった。
戦前から多くのC56が配置されていた中込機関区(管理所時代を含む)だが、戦後の動力近代化などで
両数も少なくなり晩年の配置はC56144・149・150・159の4両になっていた。
この「最後のC56四人衆(小海のC56というとこのナンバーで、たまに助っ人の糸魚川の125とか131とか160なんかもちょこっと来たことがあった)」は、昭和47年の小海無煙化後は144以外は他区へ転出して廃車になったが、山陰で150を、七尾で159をみても「ああ中込のC56だな」という印象の方が強かった。
この4両のカマは鉄道ファンの中でも「小海線のC56」というイメージが強く(確かにこのメンバーでの時期が長く、ちょうどブームの頃にもあたっていたからかも)、小海線の無煙化後も一部は転属したので当時の撮影旅行では彼地で再会することもあったけどどうも違和感があった。小海線からC56が消えたのは昭和47年秋(1972)のことで意外と「遅くまで残っていた」という感じではないのが・・・。
ちなみに144は九州のお召しの仲間のピンチヒッターとして吉松に一時移動後再び中込に戻って廃車となり小諸に保存、149は中込で廃車(沿線保存・移転あり)、150は山陰・浜田まで移動して昭和50年まで頑張って廃車後やはり信州へ戻って保存、159は七尾へ移動して現地(羽咋)で保存されたが老朽で解体され動輪だけ残っている(一部の部品は一つ下の弟機でもある160号に譲渡)。廃車後の保存状態は小諸の144を除いてあまり良い状態は保たれてなかったが149は再整備されて清里駅横に移設された。
なお小海線沿線には中込(滑津)に101、野辺山に94、小淵沢に126が保存されていて特に小海線に馴染みがあるカマではないが、さすがC56の里に相応しい両数の保存地域であろう。(C5694は無煙化後にイベント運転で一時走った)