最後は新小岩だった「房総のC57」。晩年に活躍した仲間の内で保存されたのはこの129と160(紀州へ転出後)だけであったが、この清水公園も安住の地ではなく、訪問後まもなく解体されてしまった。ここには東急の玉電200形も展示されてあったがこちらもすでに消えていた。訪問時も末期的状態であったが、さすがにC57の風格だけは残していた。
昭和15年(1940)3月28日、三菱製(製造番号279)。主な配置は水戸ー千葉ー新小岩と関東とくに房総地区で働く。廃車は44年5月15日、新小岩区。
※まだ健在だった頃の129号の姿は「汽車・電車1971ー」(TADA様主宰)の保存機のページ C57129を御覧下さい。1971年9月の姿です。