JR石巻駅から徒歩15分ほどの小公園に保存。当地で東日本大震災にあい、倒壊などは避けられたがやはり多少なりとも被害を受けた模様。現在は前照灯とキャブ回りを除けば比較的部品の欠損や震災被害、老朽化が見られないのは幸い。
キャブへあがるステップも両側に設置(機関士側は壊れている)されて見学もできたようだが現在は柵に囲まれ入る事はできない。
当機の正面の特徴は前照灯がシールドビーム一灯で副灯がないこと、「架線注意」の札がデフステーの両側に付いていたことなどで、陸東のC58の標準装備とやや異なる。末期に他地区から転入してきたカマでもあるからなのだろう。(現在「架線注意」の文字は消されているのか判読できない
キャブ周り。 両側とも窓ガラスは代わりのもので修理はされているが中は見えなくなっている。(一部破損)またナンバープレートはない。製造所銘板と換算票は残っている。
C58228
昭和15年(1940)5月、川崎車輛製造、製造番号2305。 主に生涯を中部地区で過ごす。稲沢ー多治見ー美濃太田ー高山とC58の代表線区の機関区を移動し、昭和43年(1968)に敦賀(敦賀一)に移り小浜・舞鶴線で働く。ここの無煙化ののち中部地区を離れ小牛田区に転出、陸羽東線を最後の職場として昭和49年(1974)5月に廃車となった。
エピソード
陸東最後のC58
同機は陸羽東線から蒸気機関車(C58)が消える時、最後の本線運用を担当したのが同機であった。昭和48年(1973)4月24日に最後の迂回急行の本務機を務め、その帰途の臨時単機9768レで小牛田に帰ったのが陸羽東線のC58の実質的最後になった。
栄光の寝台特急(ブルートレイン)の牽引無煙化のせまった昭和48年(1973)4月12日、奥羽本線の土砂崩れの際、当日運行していた上り寝台特急「あけぼの」1002レが陸羽東線を迂回になり急遽小牛田区のC58が牽引することになった。その時新庄から先頭に立ったのがC58122、後補機がこのC58228であった。その後も再度迂回運行が続けられ、急行「津軽」などの任にあたったが、寝台特急を牽引したのはこの一回だけであった。
このコンビは翌年の陸羽東線の迂回運用の際、ブルートレイン「あけぼの」を牽引(本務122、後補機228)で務めた。なお先頭のC58122も宮城県築館町(現・栗原市)に保存されたが近年老朽化のため解体されてしまった。