保存 C58304その2

C58304 山形県新庄市 金沢公園に保存 2025年7月

荒廃していた同機も有志の方々の努力で整備が再開され、2025年も6月からまた全体の塗装などが始まった。綺麗に塗られた姿が見違えるようになってきた


公式側も今にも動き出しそうな力強さが戻ってきた 動輪まわりも輝いている
正面も化粧直しが進む 赤ナンバープレートも木製ながら復活した
キャブ周りは今後腐食部分や窓枠の整備が予定されているそう
説明板も文章はそのままだが新しく書き換えられた できれば修正もお願したい
遠景で全体を見る 緑の中で黒い蒸気機関車が鮮やかに鎮座するようになった
非公式側 今後の整備に期待したい美しい姿

このC58304は2021年ごろから有志によって再整備が開始され、途中中断もありながらかつての姿を取り戻しつつある。お話によればナンバープレート(木製)の製作や、各所の傷んだ外板や窓枠などの修理も行って行きたいとのこと。痛みの激しかった同機にとってこの上ない幸せなことで、整備に携わっている方々に頭の下がる思いがする。


C58304

昭和16年(1941)11月、川崎車輛製造(製造番号2598)。主に東北地区に配属され活躍する。一関区では大船渡線が職場だったがその後横手区に移動してからは主に構内の入換作業に従事していた。廃車は昭和46年(1971)11月SLブーム中ではあったが比較的早い時期に現役を降りた。


エピソード
C58304の仲間たち 同機が保存されている新庄には機関区があってC58が配置され、蒸気機関車末期の運用として主に陸羽西線を担当(陸羽東線への貸し出しなどもあった)していたが、同区には陸羽東線の小牛田(陸東石巻管理所)のC58も顔を出していた。陸羽西線のC58の運用は昭和47年(1972)10月に無煙化され、その半年後の昭和48年(1973)4月の陸羽東線も無煙化によって当地のC58の煙は消えた。
その時点で小牛田に所属していた(あるいはその前後に所属)C58は廃車後周辺にほとんどが保存されたが、近年解体されるものが多く、中山平の356、西古川の19、仙台市(のち利府)の365、築館町(のち栗原市)の122(震災被害による)、三春町の328(会津廃車 現在一部保存)が消え、今も残っているのは会津坂下の215、上山市の231、岩出山の114、石巻市の228の4両だけになってしまった。なお陸東・陸西が活躍場所ではなかったがC58として横手の所属だった304が新庄市に健在で、さらに秩父鉄道で動態保存されている363もかつて新庄区に配属されていたC58である。 そのほか晩年の東北では主に会津若松の入換機として最後を迎えたC58もいて何両かが保存されたがこちらも解体されてしまった。16(震災被害による)、354(利府町 老朽)で最後は九州へ転属した275(新庄ー志布志)だけは茨城県笠間市に健在である。 304は元来、一関や横手のカマだが、この「C58の里」出会った新庄に保存され、鉄道の町だったことの記憶の一端になっていることは貴重な存在だと言えよう。


新庄 鉄道ミュージアム ゆめりあ


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