保存 C5849

C5849 静岡県掛川市中央公園に保存

東海道本線・天竜浜名湖鉄道の掛川駅から西へ10分ほどの小公園(掛川中央公園)に保存されている。新幹線や東海道本線の車窓からも見る事ができる。屋根付きだがすでに保存開始されて約45年たっているため各所に痛みや破損・部品の欠損などが見られる

シンダエプロンや埋め込みの前面補助灯などは広島工場整備の特徴を残している

よくみると正面にヘッドマークステーらしきものがある。三次区時代にあの準急「ちどり」を牽引した時のものであろうか。


灯火類や窓ガラスなどはほとんど破損してなくなっている。ナンバープレートも一部残るが塗装されており判読しづらい。
 
機関士席側から見る。かつて旋回窓が取り付けられていた名残りなのか円形のままの空間から外が見える

区名札入れに残されていた「三」のペイント文字。おそらく晩年に近い時期に所属していた三次機関区(芸備線管理所)時代のものかもしれないが、三次の表記は「次」か芸備線管理所の「芸」だったような記憶もある。 最後の職場であった敦賀第一区ではこの上に区名札を入れていたのであろう。最終検査表示の「3×・5 広島工」?のペイントも40数年たった今もかすかに見てとれた。

横から全体がながめられる、日中も静かな公園

C5849

昭和18年(1943)12月、川崎車輛製造(製造番号2030)。戦後は中国地方で働き、長門(正明市)や三次区(芸備線管理所)などに配置された。その後敦賀第一区に移動し、最後は小浜線で過ごし一年あまりの昭和46年(1971)8月に廃車となった。


エピソード

同機と同じく二俣線(現・天竜浜名湖鉄道)沿線の三ヶ日に展示されているC58263号(動輪のみ)もかつて敦賀第一区に配置されていた「同僚」であるが、49号が敦賀に転入したのが昭和45年(1970)10月4日で廃車が翌46年8月19日、263号の敦賀への転入が昭和46年(1971)4〜7月の間(詳細日不明)なので、かろうじて敦賀一区の庫で顔を合わせていたかもしれない、ただ一緒に小浜線などを走ったことがあったかどうかは不明である。

保存の考察

この場所のC58の展示の意味は、二俣線で最後まで走っていた遠江二俣機関区のC58を考慮してのことであろうが 同区のゆかりの機関車では遠江二俣(現・天竜二俣)駅前の公園に保存されている389号以外は無煙化時点でまだ検査期間が残っていたものもあって他区へ移動したものが多かった。二俣線で最後まで活躍したC58のうち、20・153・219などは南国・志布志へ、364・365の兄弟機は小牛田(陸東石巻線管理所)へ移り、廃車となった99・151・200・215は保存されなかった。(200の部品の一部は天竜二俣の記念館に保存)掛川にも保存機をと考えられた時期にちょうど無煙化となり廃車となった小浜線・敦賀第一区のこの49号が代わりに選ばれたのであろう。なお同機の前後の兄弟機のうち、ひとつ上の兄・48号は京都の嵯峨野ホールに保存されている。また弟の50号は晩年は陸羽東線で活躍した若番機であった。


保存間もない頃のC5849

昭和47年(1972)3月撮影

保存展示されてから3ヶ月あまりの頃の同機。(1972年3月)まだ公園の整備は整っておらず、周辺もやや殺風景だがほぼ現在と同じ位置が把握できる。さすがに展示されて間もない頃なのでまだきれいな姿を保っている。

※この画像は東京から乗車した急行「桜島・高千穂」の車窓から撮影したものなのであまりはっきりしていないのが残念。
現在の姿を機関車側から見る、東海道線・新幹線はやはりすぐ近くだ

かつては東海道本線と二俣線から間近に見えたが、いまは線路と機関車の間に駐車場ができているので若干見通しは悪くなっている。

拡大してみると子供があちこちに登って遊んでいる

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