JR中央線阿佐ヶ谷と京王井の頭線浜田山との中間あたりにある区立の交通公園内に展示されている。住宅地の中の緑の多い環境に駅の改札風の出入口やホーム・説明板なども設置されていて周囲の環境は保存機としては良い方だが、露天のため以前は荒廃しつつあった。近年整備されたが銘板類のないものやプレートは簡易レプリカタイプになっているのはやむをえないところ。
区立公園内のため管理は十分で機関車の周りやキャブにも近づくことができる。しかしそれでもイタズラなどはあるようで部品の欠損もあり、キャブの座席などは取り払われていた。(その後何回か整備され、2012年現在は外観・キャブなどはまあまあの状態になっている)
※なお公園は入園無料、開園時間は午前9時ー午後4時半、年末年始休園となっている。
昭和14年(1939)12月16日 鉄道省鷹取工場製(製造番号13)。新製後近畿地区(吹田)へ配属、16年には亀山に在籍。戦後は吹田区から鳥取に移り30年代初めに豊岡、そして無煙化の進展で東に移動し44年頃に福知山へと主に山陰東部地区で働いていた。その後47年3月改正で再び亀山に戻りさらに奈良(転)に移動し再び関西本線が仕事場となり、この頃には“加太越え”でファンの注目を集めた。奈良地区のD51引退でも廃車とならず、またも西へ流れて長門区に配置され「本州最後の蒸気機関車」でありD51の最後の活躍場所・山陰本線で任期を全うした。廃車は49年10月21日。
※2004年10月で保存されてちょうど30周年にあたる。
同機の最大の特徴は、製造元である鉄道省鷹取工場の取り組みの中で施工された「砂撒管などのボイラーケーシング埋込み」などの美観を考えた姿である。
鷹取工場で生まれ、生涯のほとんどを同工場の担当する機関区に所属した同機ならではのものであり、その他ののちの改装(鷹取工場製集装置、A方重油タンク、機関士側窓の改造〜三角窓など)もあわせて特記されることがらであろう。
D51254に見られる他機の刻印
同機の部品の一部に他機の刻印がしるされたものがある。公式側(左)のシリンダーブロック部にそれが見られ、前部シリンダーカバー部に「D51832」、スライドバーブラケットに「C57152」のものが確認されている。一般的に他機の部品を流用(再用)する場合、その多くは動輪・先従輪・ロッドといった動力部のものが多い(刻印が見やすく他機のものを発見しやすい場所でもあるのだが)ようだが、機関車の重要部のひとつである
シリンダー部のものは比較的珍しいのではないだろうか。
この部品が流用された経緯を考察すると、まず昭和44(1969)当時福知山区に在籍していたD51254に昭和46(1971)3月に同区で廃車になったC57152の部品を区内で交換したと思われる。(特に大修理が必要な部分ではないので)そして福知山〜亀山〜奈良と移動した254号が昭和47(1972)11月に奈良区で廃車となったD51832号のシリンダー部分も交換されたのではないだろうか?
ただ交換修繕が行われたのが鷹取工場での検査の際であることも想像されるのでこの考察が正しいとは言えないが、いずれにしろどちらのカマも254号と同じ機関区でともに在籍していた時期が合致するのでなんらかの関係はあったと思われる。
リンクさせていただいているTADA様主宰の汽車・電車1971ーにも最近のD51254の姿がありますので御覧下さい。