JR中央本線岡谷駅からバスで5分程の諏訪湖畔に近い福祉センターの敷地内に保存されている。目の前は諏訪湖畔で水鳥たちが賑やかに泳いでいる。
故郷・信州に帰ってきたが仕様は晩年まで過ごした北海道のスタイルで、旋回窓や切り詰めデフなど随所にその仕様が見られる。説明板は保存時に作られたものをベースに新しくしたものであるが、いくつかの間違いもそのまま転記してあるのが惜しい。(例:「昭和13年に登場」「日本製作所笠西工場」「オーストラリア国鉄」など=D51自体の製造初年は昭和11年、日立製作所笠戸工場、開発国はオーストリア)
同機と357号が日本最初のギースル・エジェクター装備機であるが、この2両だけが試作機として輸入されたものを装備したため煙突横(助士側)にそのパテントを示す銘板が付いていた。現在はその枠だけが残っている。
D51349
昭和15年(1940)2月15日 日立製(製造番号1228)。新製後敦賀区に配置され、北陸本線柳ヶ瀬越えや山中峠越えなどで活躍。30年代初めに上諏訪区へ移り中央本線を職場とする。その後渡道し小樽築港を経て最後は追分区に属し室蘭本線・夕張線で働き国鉄最終無煙化時まで頑張った。廃車は昭和51年3月19日。同機の最大の特徴は特異な形状で知られる「ギースル・エジェクター」装備による横長の煙突である。『ギースルエジェクター ウィズ スーパーヒートブースター(高燃焼補助器)』と呼ばれる誘導通風装置は国鉄が蒸気機関車の燃焼効率アップなどのためにオーストリアから導入したもので昭和38年にまずこのD51349号(上諏訪区所属)に長野工場で試作タイプが装備され種々のテストを経て採用された。蒸機全体には普及しなかったがD51にのみ35両に装備され秋田地区と北海道地区に集中投入された。その装備機の多くは最後は追分機関区に集められ、室蘭本線や夕張線などで独特な姿を見せていた。同機はその第1号であり、D51としても国鉄蒸機の最晩年まで活躍したこともあり、所縁の上諏訪に近い諏訪湖畔に里帰りして保存された。
※主な配置履歴
昭和16年敦賀ー22年敦賀ー23年敦賀ー30年敦賀ー32年上諏訪ー36年上諏訪ー39年小樽築港ー41年追分ー42年追分〜51年追分
エピソード
同機の兄弟機は前後とも解体されてしまっているが、二番下の兄弟機の351が同県内の南木曽町に保存されている。ひとつ上の兄348は共に北陸路で活躍した仲(348は今庄区で補機仕業主体)で時には本務349補機348といったシーンも見られたであろう。その後どちらも中央本線の機関区に転じるが、348は中津川で木曽路、349は上諏訪で東線勤務、また時期も異なり塩尻あたりで出会うといったことはなかったようだ。また351も23年には福井におり、やはり北陸線での仲間で晩年は東北から木曽路に転じた似たような経歴を持っているが348との縁の方が深いようだ。
349のいる諏訪湖畔を中心とした諏訪エリアには4両のD51が静態保存されている。同じ諏訪湖畔の上諏訪寄りにはD51824、やや離れるが塩尻にD51155、松本市内にD51172である。いずれも信州、とりわけ中央本線の沿線に配置され活躍した所縁のカマでその由来を知った人たちによって余生を過ごしている幸せな仲間であるといえよう。特にこの4両はいずれも昭和30年代初めに上諏訪機関区に籍を置いたまさに「同じカマ(区)の飯を食った仲」であった。昭和32年の同区の配属D51は18両であるが、そのうち今も保存されてその姿を残しているのは梅小路のトップナンバーを除くとまさにこの4両のみであることも「上諏訪・諏訪湖とD51」の絆の強さを感じさせる何かがあると思える。
349号の同僚で同じくギースルエジェクター装備のD51285[追]の稼働中の姿。横長煙突からの煙の状態がわかる。
リンクさせていただいている吉野富雄様主宰の五条川鉄道写真館にも最近のD51349の姿がありますので御覧下さい。