長野電鉄須坂駅よりバスの臥竜公園にある動物園の入口を入ってすぐのところに展示されている。露天だが定期的に整備されているためか外観はいつ訪れても変わらずきれいだ。晩年を木曽路で過ごし、で県内には多くの仲間が保存されている。
「蒸気」の「気」の字が間違ったまま書き直されているのはなんとも‥‥。
動物園にはこの機関車のパンフレットが置いてある。大変綺麗な印刷と細かい内容。保存車に対する愛着が感じられる。
裏面は「蒸気機関車の走る仕組み」と行ったお馴染みのものなので割愛。ただ下段の 「長野県の各地に保存されているD51」は興味深い。そのほとんどが最晩年に木曽路(木曽福島・中津川)に所属したD51なのが信州らしいところで(残念ながらこのパンフレット作成時点で解体されてしまっていたため、千曲市に保存されていたD511001が載っていないのが寂しい)信州とD51の絆の深さを垣間見る1ページ。
D51401
昭和15年(1940)2月1日、日本車輌製造(製造番号776)。主に東北・奥羽筋の幹線で活躍。長町ー会津若松(磐越西線管理所)ー大館と移動し、昭和46年(1971)に木曽福島に転入し木曽路を走る。昭和48年(1973)11月廃車。東北時代の二つ目が特徴
木曽福島区 最後のD51たち
昭和48年(1973)6月の無煙化直前の最後のD51メンバー(48−3−31現在)は以下の5両だった。長野から転入の★172(松本保存)、横手からの★351(南木曽町保存)、★401(須坂市保存)、★775(木曽福島保存)、新津からの★1001(千曲市保存→のち解体)というように全ての仲間たちが廃車後保存されており、木曽福島区のD51たちは幸運な機関車が多かった。なお351や401が転入する前に在籍していた769や921もそれぞれ保存されている。
幸運な番台
同機の前後の兄弟機は弟機に保存車が多い。一つ下の402が長野県飯田市に、そのあとの403が滋賀県栗東市に、404の動輪が新潟県長岡市、405が千葉県松戸市、二つおいて408が神奈川県川崎市、409が岐阜県美濃加茂市にと、400番台10両のうち半数以上の6両(うち動輪1)がその姿を現在に伝えている。