JR大糸線の細野駅または安曇追分駅から徒歩約30分、アルプスの山々の麓に展示されている。屋根のない露天展示ではあるが、保存会の定期的な整備により塗装され輝いている。大切にしたい保存機だ。
D51483
昭和15年2月(1940)、鉄道省小倉工場製(製造番号30)。熊本に新製配置後本州に移り、広島周辺で活躍。その後北海道に移り小樽築港区に長く在籍。最後は滝川へ移動し廃車は昭和51年(1976)3月1日で、最終期に近い「日本最後の国鉄蒸気機関車」のうちの1両となった。
同機の動輪と思われるものが北海道追分町(現・安平町)の公民館前に保存展示されているのが一つの謎となっている。この動輪の台座のプレートは「D51483」だが動輪の刻印は確認されていない。また483号は過去にD511147号の動輪と履き替えており、その残った元の483号の動輪が工場に保管されていて展示されたとの推測も成り立つ。
同機の前後の兄弟機も幸運なカマが多く、480番台でいえば481・483・485・486・488・・と5両もの静態保存機がいる。特に483・485の両兄弟はともに小倉工場製造の続き番号である。さらに同機の一つ下の弟機・484号の動輪も道内遠軽町(プレートのみ)、JR郡山工場と東北本線蓮田駅前(元・新浦安駅前から移設)に展示されており、かなり幸運な番台といえよう。
以前、同機のナンバープレートが緑色に塗られていたことがあるが、同じ安曇野市に保存されているC56124号も現在グリーンナンバーになっている。たまたま同時期に整備された際、緑色になったのかもしれない。、相互の保存・整備に関連性があるのかどうかはわからないが。 余談であるが、グリーンナンバーといえば九州・熊本機関区のカマも緑ナンバーで有名だった。483号のひとつ上の兄である482号はもちろん小倉工場生まれの九州っ子であり、生涯のほとんどを熊本区で過ごした(最後は南延岡区)「ヌシ」でもあった。そのため当然ながら緑ナンバーのD51として有名であったが、その弟が一時期でも緑ナンバーになっていたことは何か因縁めいたものを感じる。(483号も戦前は熊本区に在籍していたがまだ緑ナンバーは普及していなかったと思われる)