同機は廃車(47−6−14)後、おりしも鉄道100年記念の各地でのイベントが行われている中で10月14・15日の東京北局主催の「田端機関区公開」に展示機として選ばれ、無火の状態ではあったがまだ現役に近い美しい姿で展示され、特に人気の的になっていた。ちょうど14日の記念日に訪問したスナップがあったので「現役」とは少し違うが紹介いたします。
同機の兄弟機(510番台)には保存されているものが多いのが特徴である。512(新潟県新発田市)、515(茨城県水戸市)、516(神奈川県横浜市)などであるが、特に新発田市に保存の512とは最後はともに羽越線で働いた仲間であった。
同機が保存されている板橋区のお隣の北区飛鳥山公園に保存されているD51853も同時期に513と一緒に羽越線などで働いた仲間ですが、「刻印をめぐる不思議な接点」があります。
吉野富雄様主宰の「五条川鉄道写真館」に掲載されている853号の画像の中にクロスヘッド部分の刻印があります。説明には『公式側クロスヘッドには、D51938を消した上にD51853を打ち直すという丁寧な作業の痕が見て取れました。TZは国鉄土崎工場を表したものでしょうが、日付の36 6 20は、部品の製作年月日を示しているのか、はたまた刻印を打ち直した年月日なのか、興味が尽きません。なお、D51938号機は1968(昭和43)年2月に青森区で廃車になっています』とありますが、これと同じような作業の跡が513号機にもみられるのです。
513号の15番違いの兄(実際の竣工日では異なる場合もありますが)である498号は後存知JR東日本の代表的な動態保存機として活躍中ですが、このカマとも513号はいろいろ接点があります。
D51498号機も晩年は513とともに羽越線などで働いた仲間(498は新津〜坂町、513は新津〜酒田)であり、製造も国鉄(鉄道省)工場(498鷹取、513大宮)の昭和15年11月と12月、製造番号ともに「26」と似通っています。廃車時期も昭和47年の秋と、まさに同じ生涯を送ったカマ同士でした。さらに本業を終えたあとの行方も似ています。羽越線での仕事を終えた同機はどちらも「鉄道100年」の記念イベントに使用されるため上京し、498は1002号とともに10月の八高線の記念列車の牽引を務めました。513号も10月の東京・田端機関区の公開行事に展示機として参加(廃車後の無火状態ではありましたが)、イベント終了後には故郷へ戻らずそれぞれ後閑・板橋へと保存地へ運ばれたのです。
498のその後はみなさん後存知の通りですが、513は変わらず40年あまりも現在地で余生を過ごしています。498にしてもホームグラウンドは大宮ですからいまもほど近いところでお互いを思い合える縁でつながっている15番違いの兄弟機なのです。