保存D5159 

D5159 長野県上伊那郡辰野町 荒神山スポーツ公園に保存 2020年10月

JR中央本線・飯田線辰野駅の南方、約2キロ、荒神山スポーツ公園の一角に露天展示。飯田線 伊那新町駅から約500m(ただし山登りの道)もアクセス可能。


正面 精悍な顔付き スノウプラウも装備のまま
柵が低いので下部までよく見える 露天だが整備はこまめにされている
キャブ周り タブレット授受器は知恵の輪型 区名札と運用票は独自のものか
説明板 定期的に書き換えられているようだが間違いも一部にある

文中の「昭和51年1月24日」は「昭和50年12月24日」の間違いであろう。またこの日は59号というよりD51としての定期最終運用日であり、59号は当日は運用に入っていなかった。


朝陽を浴びて黒光りする側面 現役時代のようだ
山々をバックにした高台の展示 雨風や雪に耐えて佇んでいた

D5159履歴

昭和12年(1937)8月、川崎車輌製造(製造番号1817)。北海道に配属され追分区を中心に室蘭本線や夕張線などで活躍。ほぼ道内の機関区を移動したが昭和48年に岩見沢第一区が最後となり、D51としての現役最終在籍機の1両となって昭和51年3月1日に廃車となった。


現役時代のD5159

室蘭本線で貨物列車を牽く59号[築] 昭和48年(1973)8月 当時は小樽築港区配置
同じく室蘭本線で旅客列車を牽く59号[岩一] 昭和50年(1975)2月 岩見沢第一区配置

オレンジカードの図柄になった59号
JR北海道発行の「第120回鉄道記念日(1992年10月)」の記念カードに59号の画像が使用された

同機にまつわるエピソード
最後のナメクジ D51の本線定期最終運行となった昭和50年(1975)12月の配置では、一次型のD51は8両が現役であった。その中で岩見沢一区の59号は最後まで残った中に含まれていて、岩見沢一区の53・60、滝川区の38・68・96、追分区の4・70とともに活躍していた。そして同機の廃車日は昭和51年3月1日であり、D51の一次型で最終期に廃車になったものの1両ということになる。 そのほかの最後の一次型の廃車日(1号機を除く) D514(50年12月3日)、38(51年3月1日 動輪保管)、53(51年3月1日 動輪保存)、60(51年3月1日 動輪保存)、95(51年3月1日 長瀞を経て碓氷峠鉄道ぶんか村に保存)。68(51年3月19日 岩手県小岩井農場に保存)、70(51年3月19日 茨城県つくば市に保存)。なお車籍上はこのほか51年3月4日に廃車となったD5125号が別に存在している。(当時の梅小路蒸気機関車館の1号は除く)


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