かつて全国に誕生した蒸気機関車に客車を連結してホテルとして使用する「SLホテル」で最後まで残ったもので、すでに営業は終了しているが、機関車と一部の客車は残されて展示されている。(近年整備はされていないので機関車以外は消耗度が激しい)
この画像以前の説明板では「昭和50年12月24日の国鉄最後のSLとして室蘭本線岩見沢ー東室蘭を走り…」の表記があり、現在も若干ニュアンスが違うが「昭和50年12月24日のD51廃止になる最後の日まで活躍しました」となっており昔のパンフレットの説明を一部流用したような形になっている。細かい履歴などを検証するまでもないのか興味がないのかだろうが貴重な産業遺産であるならこの辺りはきちんとしてもらいたいもの。
キャブ周り。酷寒の北海道を駆け抜けた耐寒装備だがキャブは密閉型には改造されなかった。タブレットキャッチャーは道内でよく見られた通称「知恵の輪型」
利用料金(当初)は下段1800円、上段1600円(ひとり使用は2300円)、休憩1200円、開設当初はA寝台を使用していたため、二段ベッドの仕様となっている。「特急A寝台車 ナロネ2号 5輌」とパンフレットにはあるが実際はナハネ3両+ナロネ2両(閉業後はナロネ2両は解体された)で、寝台使用は当初はナロネであとは「SLクラブハウス」としてフロント・レストラン・浴室があった。
表紙のD51のナンバーは68となっているが、どう見てもナメクジではない標準型で集煙装置やドーム後部の重油タンクへの手すりなどから人吉区の重装備タイプの画像との合成のようだ。またパンフレット内での68号の説明には、「このD5168蒸気機関車は昭和12年9月日立製作所で製造、岡山機関区を皮切りに地球を79周、ざっと317万キロを走り続けた。昭和50年12月24日、国鉄最後のSLとして北海道の室蘭本線、岩見沢ー東室蘭間を走った…。」とあるが、同機は確かに国鉄蒸気機関車最終期まで頑張った1両ではあるが、籍はあったものの当日はすでに運用から離脱しており、また最後のD51の運行は夕張線のみで該当区間を走った事実はない。このパンフレットはかなり過去のものなのだが、ホテルなきあとの現在の説明板でも間違いは訂正されていない。SLホテルとしては最後に残ったここ小岩井のものだが、2008年に営業を止め、一部の20系寝台車と同機が残された冬期は降雪もある土地柄のため疲弊が激しく整備も追いついていないのが現状。
D5168履歴
昭和12年(1937)9月、日立製(製造番号868)。最初は主に山陽路の機関区に配属された。岡山・広島などを経て1950年代に渡道、函館本線などを職場とする。その後滝川に移動し、根室本線や函館本線、室蘭本線などで活躍。 廃車は蒸機最終期の昭和51年(1976)3月19日
同機にまつわるエピソード
同機の兄弟機では二つ上の66が京都府に、二つ下の70がつくば市にと一番おき保存されている。70は後述するように国鉄最後の一次型D51となった兄弟になる。(1号機を除く)