北陸育ちのD51だが、昭和46年に木曽福島に転入し最後まで活躍した。採光の良い屋根が架けられている。
昭和17年(1942)9月11日、汽車会社製(製造番号2258)。新製配置は福井で北陸本線を主な職場とする。39年7月に糸魚川へ移ったが44年10月に再び福井へ戻る。しかしすでに本線は電化されており、小運転や入換えなどで細々と過していた。幸い46年に木曽福島へ移動し48年6月の電化まで「木曽路のD51」の一員として脚光を浴びた。最後まで残った証として、同年8月に運転された「さよなら列車」(長野鉄道管理局主催)の牽引機にも選ばれ有終の美を飾ったのち廃車となり木曽福島駅前に保存された。
エピソードひとつ上の兄774は関東でも馴染みのカマであったが、晩年を過した山陰の出雲大社内(現在は旧大社駅構内に移設)保存されている。また弟の776は775が木曽に来る半年前まで中津川にいたのだが、すれ違いになってしまい再会はならなかった。だがその下の777はまだ中津川に健在で、晩年の木曽路をともに走った兄弟となった。なお777号も愛知県内に保存されている。
リンクさせていただいている吉野富雄様主宰の五条川鉄道写真館にも最近のD51775の姿がありますので御覧下さい。