D51787

北佐久郡御代田町 旧御代田駅跡に保存 撮影1989年10月

木曽路で活躍したD51の1両。旧国鉄信越本線(現・しなの鉄道)御代田駅近くの交通記念館に保存されている。この場所はかつてスイッチバック駅だった旧御代田駅の駅舎とホームがあったところである。


最高の整備をされて今にも動きだしそうになった 撮影2007年1月

上の画像は787号が水戸から木曽福島に転じて信州を故郷としてちょうど50年目を迎えた2007年の正月元旦の姿である。D51787は数年前から「御代田町D51787保存整備協議会」の方々の手によって再整備され、現役時代と同じような美しい姿に蘇り、各部分の稼動や汽笛の吹鳴まで可能になった。その後は期日を決めて一般公開されるまでになった。しかしながら諸般の事情もあって現在は実演および公開は休止となっている。なお2005年にかつて装備していた長野工場型集煙装置を再制作して取付け、木曽路時代を思わせるスタイルが再現されたがその後また従来の姿に戻っている。

   
(左89年・右07年)機関車は軽井沢方向を向いている。左隅で朽ち果てていた駅名標も復元されている。

以前は正面・側面・テンダともナンバープレートの地色は青に塗られていた。この塗装は中津川区でお馴染みだったが、晩年の現役時、同機は木曽福島区在籍だった。ただ当時も青プレートだったような記憶がある。

 
(左89年・右07年)かつての御代田駅構内に屋根付きの施設として展示されている

展示場所の囲いに「D51787」と書かれているので車窓からでも所在がわかるのは嬉しい。

現役時と変わらないように磨かれ油のにおいを漂わせている幸せな保存機(07年)
 
左:1989年、右:2007年撮影

通常は柵内には入れないので外から撮影。戦時設計のカマボコドームがよくわかる。現役時代の長野式集煙装置は外されているので幾分煙突が短くなっている。テンダ上の説明板はいまはなくなり、代わりに道路沿いの柵に「御代田町交通記念館」として写真入りの説明板が取付けられている。

写真の重連の次位は諏訪湖畔に保存されている824号である

D51787

昭和18年(1943)9月29日、汽車会社製(製造番号2327)。新製配置は水戸で常磐線などで働く。昭和32年(1957)7月に木曽福島へ転じ、以来ここから動かず昭和46年4月17日に廃車となるまで木曽路で活躍した。


現役時代の787号

 
昭和45年12月 中央本線落合川駅付近、右は同じく木曽福島区にて

キャブ(非公式側)の変化

 

左=1970(昭和45)年12月木曽福島区 右=2007(平成19)年1月御代田町

左の現役晩年の姿でもすでに製造所銘板などは失われていた。保存時の現在は換算標が復活している。なお製造所の汽車会社の銘板は本来は楕円の大形のものであるが、787号の製造の頃にはすでに戦時中だったのでそれが取り付けられていたかは定かでない。この現役時の画像では小型の小判型のものが付いていた跡らしきものがあるが、戦後の国鉄工場などでの銘板復活取付の際には小型長方形のものが採用されていたはず(この画像でも取付け穴らしきものが小判型用の他に左にもうひとつ見られる)で、果たして787号にはどのような銘板が付いていたのかが気になるところである。


エピソード

同機の前後の兄弟機などはいずれも廃車解体されて現存しないが、ひとつ下の弟機788号の動輪が広島県の某中学校に保存されている。また前後の保存機(775木曽福島駅、777愛知県刈谷市、792愛知県春日井市)はすべて晩年に木曽路で活躍した同僚であった。(775は同じ木曽福島配置だったが787号の廃車後の転入のため同時期には一緒に過ごしていない)。


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