長く上諏訪区などに在籍した長野県縁のカマ。長工デフ・集煙装置・運転室換気装置など「長野工場」ならではの装備をほとんど身に付けたD51である。もちろん長野区在籍時にはフロントデッキの白線塗分けも実施されていた。45年に引退後は故郷・上諏訪に近い諏訪湖畔に保存されている。
D51824
昭和18年(1943)3月18日、鉄道省浜松工場製(製造番号74)。新製配置は静岡だが、のち浜松に移り東海道本線を中心に働く。その後は上諏訪ー松本ー長野と信州の機関区を歴任し、「長野のD51」の1両として活躍した。昭和45年(1970)2月の篠ノ井線無煙化の際は、中津川から借用した549号(長野工場製)と重連で「さよなら」急行列車を牽引して引退の花道を飾った。廃車は同年8月8日で、上諏訪から保存地への搬入は11月5日であった。
エピソード
824号を始めとするD51の820番台は保存機が多く、822・823とは3兄弟が連番で残っており、さらに827・828と半数は各地でその姿を見る事ができる。(827は個人保存のため非公開)
824のいる諏訪湖畔を中心とした諏訪エリアには4両のD51が静態保存されている。同じ諏訪湖畔の岡谷寄りにはD51349、やや離れるが塩尻にD51155、松本市内にD51172である。いずれも信州、とりわけ中央本線の沿線に配置され活躍した所縁のカマでその由来を知った人たちによって余生を過ごしている幸せな仲間であるといえよう。特にこの4両はいずれも昭和30年代初めに上諏訪機関区に籍を置いたまさに「同じカマ(区)の飯を食った仲」であった。昭和32年の同区の配属D51は18両であるが、そのうち今も保存されてその姿を残しているのは梅小路のトップナンバーを除くとまさにこの4両のみであることも「上諏訪・諏訪湖とD51」の絆の強さを感じさせる何かがあると思える。
※リンクしていただいているTADA様の「汽車・電車1971〜」の保存機のコーナーにも同機の画像がありますのでぜひ御覧ください。