保存D51921

D51921 長野県長野市 篠ノ井支所駐車場奥に保存 2004年1月

JR篠ノ井駅から徒歩約10分ほどの長野市支所(旧 篠ノ井市役所)駐車場奥に保存されている。青空保存だが整備はされている。


公式側 外観はすっきりとしている
 
正面 赤ナンバープレート (右)キャブ内も計器・メーターなど破損も少なく状態は良い
立派な説明板 蒸気機関車の説明と921号の履歴、そして長野県とD51の関わりなどが記されていた

文中の「篠ノ井交通記念館」は結局計画のみに終わった模様


テンダ後方 尾灯、標識灯、テンダ種別標なども残っている
公式側キャブ 外観は若干疲弊しており、製造所銘板は紛失しているがその他は残っている 区名札入れなどの枠も磨かれている
動輪はデフなどへの白縁取りがやや目立つが長野工場型集煙装置も残しており信州らしいスタイルのD51として保存されている

現役時代のD51921

831レを牽いて塩尻へ到着した921号(次位はD51849) 昭和45年12月
木曽福島区で憩う921号 昭和46年5月

D51921履歴

昭和18年(1943)11月8日、川崎車輌製(製造番号2895)。高崎第二区に配属され戦中戦後の輸送に従事する。昭和27年に木曽福島区へ移動後は最後まで同区を離れる事なく木曽路のD51として活躍した。廃車は無煙化より1年ほど早い47年4月28日。同機は木曽福島区に籍をおいたD51の中でも数少ない川崎製であり(他に晩年では中津川の265・266・279などがいた)、また戦後まもなくを除いては晩年に1001が転入するまでもっとも大きいナンバーのD51であった。(中津川に1026がいた時期がある)
私事ではあるが、この921号は私が初めて木曽路を訪問した時にハンドルネームである「831」列車を木曽福島ー塩尻間で牽引(前補機で本務はD51849)してくれたカマであり、上記掲載の画像がそのときのものです。


主な配置履歴
昭和22高崎二 23高崎二 30木曽福島 以下同 47木曽福島 47−4−28木曽福島廃車


D51921にまつわるエピソード

同機の兄弟機では一番近い保存機はふたつ下の弟機923号が福岡県久留米市にいる。また920番台としては北海道安平市(旧追分町)の追分小学校に929の動輪が保存されている。また同機の安全弁には戦時中に天皇陛下(昭和天皇)から下賜された青銅を活用したものが使われている。この御下賜品を使用したD51で他に現存するのは東京都北区の飛鳥山に保存されているD51853号のみである。

木曽福島のD51と保存車

同機は木曽福島区にD51が本格投入され始めた昭和27年(1952)に最初に配置されたうちの1両であり、木曽路から蒸機が消えた昭和48(1973)度まで同区で働いたほぼ木曽福島一筋のD51であった。(※福島区のD51については戦前の昭和12年に試験的に新製配置されたD515、30、41なども記録にあるがすぐ転出し、その後はしばらくD50や9600が多数配置されていた)
昭和43年には11両と最多の両数が配置されていた木曽福島のD51もSLブーム華やかな頃(昭和45年6月)にはわずか6両になっていたが、その時のメンバーのほとんどがのちに静態保存されているのも木曽路の人々にD51が愛されていたことではないだろうか。(さらにその後の入れ替わりに転入してきたカマの多くも保存されている。)


昭和45年6月以降の木曽福島区D51配置(★は廃車後保存されたもの)
45ー6
430、769、787、862、●902、921
46ー3ー31
430、769、★787(御代田町)、★862(東京町田市)、921
47ー3ー31
横手→351、大館→401、福井→775、★769(聖高原)、★921(篠ノ井)
48ー3ー31(無煙化直前、最後のメンバー)
長野→★172(松本)、★351(南木曽)、★401(須坂市)、★775(木曽福島)、新津→★1001(千曲市) 48ー6無煙化
※902は中津川区に動輪がモニュメントとして保存されたがその後は不明。また旧木曽福島区にも201号(中津川区廃車)の動輪が保存されたがこれも現在不明。


ご案内

※リンクしていただいているTADA様の「汽車・電車1971〜」の保存機のコーナーにも同機の画像がありますのでぜひ御覧ください。また同じくリンクしていただいている吉野富雄様の五条川鉄道写真館の保存機のコーナーにも同機の画像がありますのであわせて御覧ください。


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