JR篠ノ井駅から徒歩約10分ほどの長野市支所(旧 篠ノ井市役所)駐車場奥に保存されている。青空保存だが整備はされている。
文中の「篠ノ井交通記念館」は結局計画のみに終わった模様
D51921履歴
昭和18年(1943)11月8日、川崎車輌製(製造番号2895)。高崎第二区に配属され戦中戦後の輸送に従事する。昭和27年に木曽福島区へ移動後は最後まで同区を離れる事なく木曽路のD51として活躍した。廃車は無煙化より1年ほど早い47年4月28日。同機は木曽福島区に籍をおいたD51の中でも数少ない川崎製であり(他に晩年では中津川の265・266・279などがいた)、また戦後まもなくを除いては晩年に1001が転入するまでもっとも大きいナンバーのD51であった。(中津川に1026がいた時期がある)
私事ではあるが、この921号は私が初めて木曽路を訪問した時にハンドルネームである「831」列車を木曽福島ー塩尻間で牽引(前補機で本務はD51849)してくれたカマであり、上記掲載の画像がそのときのものです。
主な配置履歴
昭和22高崎二 23高崎二 30木曽福島 以下同 47木曽福島 47−4−28木曽福島廃車
同機の兄弟機では一番近い保存機はふたつ下の弟機923号が福岡県久留米市にいる。また920番台としては北海道安平市(旧追分町)の追分小学校に929の動輪が保存されている。また同機の安全弁には戦時中に天皇陛下(昭和天皇)から下賜された青銅を活用したものが使われている。この御下賜品を使用したD51で他に現存するのは東京都北区の飛鳥山に保存されているD51853号のみである。
木曽福島のD51と保存車
同機は木曽福島区にD51が本格投入され始めた昭和27年(1952)に最初に配置されたうちの1両であり、木曽路から蒸機が消えた昭和48(1973)度まで同区で働いたほぼ木曽福島一筋のD51であった。(※福島区のD51については戦前の昭和12年に試験的に新製配置されたD515、30、41なども記録にあるがすぐ転出し、その後はしばらくD50や9600が多数配置されていた)
昭和43年には11両と最多の両数が配置されていた木曽福島のD51もSLブーム華やかな頃(昭和45年6月)にはわずか6両になっていたが、その時のメンバーのほとんどがのちに静態保存されているのも木曽路の人々にD51が愛されていたことではないだろうか。(さらにその後の入れ替わりに転入してきたカマの多くも保存されている。)
昭和45年6月以降の木曽福島区D51配置(★は廃車後保存されたもの)
45ー6
430、769、787、862、●902、921
46ー3ー31
430、769、★787(御代田町)、★862(東京町田市)、921
47ー3ー31
横手→351、大館→401、福井→775、★769(聖高原)、★921(篠ノ井)
48ー3ー31(無煙化直前、最後のメンバー)
長野→★172(松本)、★351(南木曽)、★401(須坂市)、★775(木曽福島)、新津→★1001(千曲市)
48ー6無煙化
※902は中津川区に動輪がモニュメントとして保存されたがその後は不明。また旧木曽福島区にも201号(中津川区廃車)の動輪が保存されたがこれも現在不明。
ご案内
※リンクしていただいているTADA様の「汽車・電車1971〜」の保存機のコーナーにも同機の画像がありますのでぜひ御覧ください。また同じくリンクしていただいている吉野富雄様の五条川鉄道写真館の保存機のコーナーにも同機の画像がありますのであわせて御覧ください。