保存動輪四方山話

保存数の可能性

全国に保存(放置も含む)されている動輪はいったいどれぐらいあるのだろうか?かなりアバウトな感じではありますがちょっと計算してみました。

国鉄の蒸気機関車在籍数は43年ー2266両、44年ー1893両、45年ー1601両という概算がありますが、SLブームなどで記念に動輪も保存されるようになったのを仮に昭和45年(1970)前後とし、この1601両をベースとして考えてみました。(もちろんそれ以前に廃車〜動輪保存となったものもありますが数は少ないとみました)そのうち一部を除いて昭和45年以降に廃車となり、静態・動態保存されたものは480両前後ですので、これをマイナスすると解体数は約1120両となります。一方動輪の数ですがB・E型は少なく圧倒的にC・D型が多いため、軸数で考えると1120×3・5ぐらいでしょうか。(軸数の平均値ですが、D51がかなりの割合を占めるとなるともう少し高いかもしれません)とすると廃車された機関車に残された総軸数は3920となります。

この総軸数の10%とすれば約400、1%で約40となります。もちろん片側のみの保存や静態解体後の保存など数の変動は考慮されるべきものですが、リスト作成を進めているうえでの感じでは3920軸の5%ぐらいの数〜200ほどが保存・保管されているのではないかと思っています。

※04ー11現在でリストに掲載されている動輪数は約190となっています。(形式不明も含む。また片側のみも1個、また同番号機で複数保存のものもそれぞれ1個で計算)

◇リスト掲載総数修正(2009年2月現在)
合計281両(軸)、うち複数軸保存機を1両と換算すると→251両 ※形式・番号の不明のものの中にはナンバーの重複するものもあるかと思われますが、とりあえずすべて「別番号のものでそれぞれ1軸ずつ」として計上しました。
◇リスト掲載総数修正(2010年05月現在) 合計311両(軸)、うち複数軸保存機を1両と換算すると→277両


ある動輪の謎

備考でも但し書きを付けたように、保存リストには個人保存や販売されているもの・事情があって所在を公開できないもの・正式な保存ではなく放置されているものなどは除外してあります。ここではその中で私が垣間見た「ある謎の動輪」について記しておきたいと思います。(既知の方々にとってはそれほどのことではありませんが・・・。)

ある時『トワイライトゾーンMANUAL 3』(ネコパブリッシング社94-10刊)を読んでいてふと眼に入った写真がありました。それは何やら蒸機の動輪が写った写真でした。この記事は放置された内燃機関車のことを書いたもので、動輪はついでに写っていただけなのですが、本文や写真のキャプションには『・・それにしても手前に意味なく転がっている蒸機の動輪が無気味!』と一応注目はされていました。これを何気なく見ていた私は「!」と感じるものがあったのです。この放置された動輪は長野県岡谷市の国道20号線・塩尻峠の頂上付近の資材置場に内燃機関車とともに放置されていたもので、撮影は85ー6となっていました。この場所と撮影時期を見て「そういえば前にこの近くでこんな動輪を撮影したなあ」と思い出しネガを調べてみたら、1980年の10月に中央本線岡谷駅の構内(貨物ホーム跡地)でこれも留置されていた591系(振子試験車)を見つけてスナップした時にその車輌の前に転がっていたのがひとつのC11のものらしきスポーク動輪でした。(動輪などがあった跡地はすっかり整備されいまはほとんどスーパーマーケットとなっております。591系も解体されました)

 この動輪が後年の「峠の動輪」と同じものかどうかの判断ですが、塩尻峠はこの岡谷駅から程近く、理由は不明としても運ぶにはそれほどたいへんではないこと、「トワイライト」の掲載写真では見にくいのですが車輪の縁に入れられた「白線」のような色違いのスジが私の撮影したものにもあることなどが共通していたのです。機番については80年の撮影時は特に刻印などは気にしてはいなかったのですが、なぜかこの時は見ていてそれもかつて「ふるさと列車」で馴染みだった328号だったので強烈に印象に残ったため覚えていたわけです。当然刻印部のアップも撮影しましたが、モノクロで露出もピントも甘く、PCの補正をもってしても再現できない状態なのが残念です。
 この他にも328号の動輪がここにある必然性を推理してみても、328の廃車は49ー8で解体はおそらく長野工場だったはずです。(北陸の松任工場はすでに解体はしていなかったはず)また49年当時で周辺のC11使用線区はもう会津あたりしかなく、会津のカマはほとんど郡山工場へ送られましたから、C11の解体で長野あたりへ送られたものは328以外はほとんどなかったはずなのです。

以上はすべて私の想像の域をでないものですし、ネコ社にも訪ねたわけでもありません。しかるべき関係者にあたってみようと思いつつそのまま月日が流れてまたこうしてネットで動輪のことを話題にしたため記憶も蘇ってきている状態です。いずれにしてもこの動輪の岡谷駅時代から24年、峠の写真から19年もたっており、現地調査の必要性もありますし、まだ峠にあるかどうかもわかりませんのでリストには掲載しておりませんが、このような“謎の動輪”はまだ全国にあるかもしれませんし、それぞれに歴史を秘め、また思わぬ発見もあることが「保存動輪」探索の楽しみともいえるのでしょう。


保存動輪プロフィール

リストアップの過程で見つけたちょっとしたエピソードなどがあった事例を紹介します。アップ画像の「エピソード」に記載したものもありますが、その中でも珍しいものや面白いものを簡単にまとめてみました。

勤勉の証

JR旭川支社(元・旭川鉄道管理局)前と市内の旧神居古潭駅跡(もう一カ所あった群馬県のものは現在不明)に保存されている動輪はC57130のもの(前者が第2・後者が第1)ですが、同機は新潟地区を振り出しに関西〜南九州〜北海道とまさに「日本全国」を駆け巡った働き者でした。昭和15年(1940)4月2日、三菱製(製造番号280)の同機は長く新潟地区に配置され信越・羽越・磐越西線などで活躍しました。そのため当時担当であった長野工場独自の切取り式除煙板(長工デフ Nー3型〜関分類 C57に装備は2両のみ)を装備しているのが大きな特徴でもありました。その後新潟地区の無煙化進捗に伴い亀山区を経て昭和41年に九州・人吉区へ転入、デフもそのままに肥薩線などで働いたのです。そしてそのままここが最後の地になるかと思われましたが、会計検査院の勧告の対象となり一転北海道の旭川へ転属となり最北の宗谷本線が最後の職場となったのです。彼は検査切れの近いC55に代わるDD51配属までの「つなぎ」として相次いで転入した同僚C5787・186とともに慣れない酷寒の地で見事リリーフ役を勤め、昭和50年2月28日に廃車となったのですが、その北から南まで走り抜けた「勤勉の証」として2組の動輪が旭川に残されているのです。
 余談ですが最後の仲間となった2両のC57は幸運にも解体を免れ保存されました。87号ははるばる沖縄へ行き最南端のC57保存機となりました。186号は東京の小金井市にその姿を横たえておりますが、彼も新潟地区が最初の職場でのち南九州へ移動し旭川に来るという猛者になりました。130号とは新潟地区や人吉そして旭川と不思議な縁で最後まで一緒に働いたことになります。

追分の勇者たち

昭和50年12月24日の「国鉄営業線上(入換などを除く)最後の蒸気機関車運用」についたのが追分区の4両のD51(241・465・603・1086)でした。その記録の価値により当然廃車後は保存が内定していたのですが、保管中の昭和51年4月13日、追分機関区が火災に逢いこれら4両はすべて被災し、一時は復旧も考えられましたが惜しくも保存は取り消され結局解体されてしまいました。
 しかしながらその履歴と功績を惜しむ人たちの尽力により、彼らの動輪はゆかりの沿線各地をなどにすべて保存されたのでした。D51241号のものは機関区跡に作られた「追分鉄道記念館」(D51320などが静態保存)に煙室扉・プレートも合わせた立派なモニュメントとして残され、465号のものは追分町内の鹿公園と室蘭線沿線の由仁町の2ケ所に、603号のものは三笠市の鉄道記念館と京都の嵯峨野観光鉄道(前頭部なども展示)に、そして1086号のものは岩見沢市と横浜市にそれぞれ大切に保存・展示されています。

しぶとい機関車たち

C5793の動輪は3軸とも保存されています。最後は豊岡区で播但線で活躍したカマですが、廃車後は地元の生野町に静態保存されました。しかし近年老朽化のため惜しくも解体されてしまったのですが、一部の部分とともに3軸の動輪は揃って生きながらえたのでした。
 また同じC57の38号の動輪も3軸とも健在です。

※C型機で2軸以上保存されているカマ(確認できているもの)
C11274(浦臼・札幌)、C57117(世田谷・西都城)、C57130(旭川・神居古潭)、C57155(新大阪・大阪)
※D型機で2軸以上保存されているカマ
D51603(三笠・嵯峨野)、D511086(岩見沢・横浜)、68660(串木野・大阪城)

王者C62の轍

C62は御存知のように1・2・3・17・26の5両が静態保存されています。30・40番台にも名機が揃っていましたが晩年まで残ったものは少なく、ラストナンバー49の保存もかないませんでした。しかし苗穂工場に34、小樽運転所に44、岡山機関区に40、広島運転所に13、東京駅地下に15と動輪は残り、合わせて各番台すべての車体と動輪が保存されていることになります。またこれらの動輪と機関車の保存場所をみてもC62の活躍した主要幹線の沿線(苗穂・小樽・東京・名古屋・梅小路・大阪・岡山・広島)にまんべんなく散らばっていることもさすが「王者」の貫禄といったところでしょう。しいてあげれば本州最後の活躍地、常磐線の平か仙台と最西端の下関あたりにも保存されていればいいのですが・・・。

あのカマの動輪が・・・!

会津若松駅前のC57105は関東のファンなら「ああ、あのさよなら列車の機関車かあ。」と思い出すほどの名の知れたナンバーでした。リストのプロフィールにも記しましたが、同機は晩年は佐倉〜新小岩で過し、昭和44年(1969)8月20日、都区内発最後の定期蒸気機関車牽引旅客列車221レ(外房線 両国→勝浦)の先頭に立ち、多くのファンに見送られました。45年(1970)4月9日同区にて廃車後解体され、その後動輪一対が東北新幹線仙台駅構内の駅ビルに設けられた『東北鉄道記念館・ロコモ』に展示されました。しかし同所の閉鎖により一時行方不明となります。ところが2000年に会津若松駅前に設置された動輪に同機の番号があることから105の動輪は仙台関連の鉄道施設に保管されていたことと推定されます。ただ仙台にあったものと同じものかは刻印未確認(第○動輪・左右など)のため確定していません。現在展示されている会津若松は新小岩の105を見送ったファンからすると意外な場所と感じますが、同機は佐倉に赴任する前はわずかではあるが新津区に籍を置き磐越西線の運用も受け持っていたこともあり、この会津若松の庫で休んだこともあったではないでしょうか。仙台を経ていまの場所に落ち着き、後輩の180号の活躍を見守るこの動輪もこの会津にやっぱり縁があったということなのでしょう。(105は昭和40年は直江津区在籍だが、新小岩転出直前は新津区におりました。)

4軸目は存在するか? 29600

29600という機関車の動輪が関西方面で3軸残されています。(敦賀駅前・新大阪駅構内・大阪共栄興業)同じ時期に譲られたのかは不明ですし、それぞれが「何軸」か、また全て29600のものであるかどうかはわかりません。しかしながらD型機で解体されたカマの全ての動輪が保存されている例は希有と見られ、もし4軸目が存在しているならこれは貴重なものと思われます。

兄弟形式・兄弟ナンバー機の不思議な縁

C55・57の兄弟形式中、52号と53号の兄弟ナンバー機には不思議なつながりがあります。それぞれ動輪もしくは静態保存機の姿で残存している(C5552吉松町保存・53動輪保存・C5752動輪保存・53動輪保存)のも幸運なことですが、C5752と弟機53、また兄弟形式であるC55の52・53号機の4両の関係を活躍晩年の移動などをみても面白いものがあります。C5753は末期に大分から若松に転入しましたが、その際の取り替え対象機がC5553号でした。その後そのC5753が「つなぎ」の役目を終えて交代したカマが豊岡から転入したC5752であり、C5553はゆかりの地・大分(C5553もC5753と同じく大分で活躍した)へ保存(実際はC5546が代役)となりました。その交代したC5752が若松に来た時、わずかな期間ではありましたが「筑豊最後のC55」の1両となっていたC5552号とも顔を合わせています。
 このように期間の微妙なすれ違いなどはありますが、兄弟形式しかも同番号兄弟機同士がともに同じ路線で活躍し、時には顔を合わせていたという事実にも不思議な縁を感じます。またC55兄弟はともに保存され(正確には保存されたC55はナンバープレートは53号だが実際は46号であり、動輪として別に53号は存在)、C57の方は京都・東京にそれぞれ別れてはいますが「動輪」として生き残っているという強運を持ち合わせていることも似通っていると思います。
※なお兄のC5752の動輪は京都府の嵯峨野観光鉄道「19世紀ホール」に、C5553の動輪は大阪の共栄興業にそれぞれ保存されている。またC5552は鹿児島県吉松町に静態保存されています。

東京での再会 2両のC58動輪

東京都港区新橋にC58425の動輪が展示されています。またここから山手線で半周ほど回った池袋駅の西口には3番違いの兄機・C58422号の動輪があります。この兄弟機はともに昭和22年の汽車会社製で、新製後は苗穂区に配置され、また30年代〜40年代なかばまで一緒に鷲別区で働いた(しばらく鷲別配置のC58は422・425の2両だけの期間が続いた)仲でした。時を経て東京都内の近接地に「動輪」という姿ではあっても再び一緒に過しているのも不思議な縁といえるでしょう。
C58422 昭和22年(1947)9月、汽車会社製(製造番号2558)48ー11ー30鷲別廃車
C58425 昭和22年(1947)11月、汽車会社製(製造番号2561)49ー7ー6苗穂廃車

※このC58425の動輪はその後D51のものであることが判明し、この再会動輪の話題は架空のものになってしまいました。

さすが新潟!

「SLばんえつ物語号」の牽引機・C57180の地元・新潟県には今も昔も鉄道とともに発展して来た町、そして汽車の寝ぐらとなった機関区や駅が多数あります。そのためかつて日本海縦貫線(信越〜羽越本線)で活躍した蒸機の記憶を留めようと沿線には多数の動輪が保存されています。糸魚川のD51617、直江津運輸区のD51、直江津駅前のD51、長岡運転所のD51404、新津駅構内の68635、新津運輸区のC57181、白新線豊栄駅前のD51、坂町駅構内のD51611、村上駅のD51・・・。すべてがこの沿線で働いたゆかりのカマのものではありませんが、県内という広い範囲ではなくこのように軒並み沿線だけでもこれだけの動輪が保存されていることに、越後の人たちの鉄道・蒸機に対する熱い想いが感じられます。


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