当時有名だった「日本最長距離鈍行列車」である824レのスハ42 52です。所属は[米ハマ]
かつてまだ幹線の多くにはどんな小さな駅にも駅員がいて、特に非電化の山陰本線などでは通標閉塞も行われていました。そんな駅に鈍行列車で旅をしていると、発車の際次の駅を呼ぶ放送が流れていました。中にはアナウンス設備のない駅などはホームに立った駅員が直立して列車を見送りつつ次駅を連呼していました。これはそんな一場面の録音です。昭和48年(1973)12月、ひとつは東萩の三つ先の「奈古」駅、もう一つはさらに6つ先の「戸田小浜駅」のものです。戸田小浜は肉声でした。
奈古駅の6駅先の戸田小浜駅の発車の際はホームの駅員が肉声で次駅を連呼していました
晩年まで生き残っていた32系の一両で、二番違いの2357は今もほぼ現役の高崎にいる2357ですね。この時の乗車はオハ352912[仙コリ]、牽引はED7713+10
これは乗車車両の後部ではありませんが、この列車は北陸本線1740レ直江津行きで、乗車したのはオハ35 2774「金トヤ」でした。牽引はEF8130[富二]