春の信州46年 その4  昭和46年5月

 
木曽福島の名物機・D51862

木曽路ふたたび

長野10:25ー804D急行「きそ2号」名古屋行→木曽福島12:59

長野駅をあとに木曽路を目指す。やはり四ヶ月前の印象が強く残っており、またあのD51たちに会えると思うと胸がわくわくしてきた。とはいえ本来の計画にはなかった行程なので、このあとどうやって撮影するかはまったく考えていなかった。とりあえず「たくさん機関車を撮るなら機関区だな」ということで、また木曽福島を訪ねることとした。

 
ともに戦時型の[木]所属機862と902が休んでいた

二度目の訪問となると図々しくも?「勝手知ったる我が家」のような気持ちになり、「こことあそこと」と撮影ポジションを思い付く。まずは「青空扇型庫」の862を目指す。前回は会えなかったこの「木曽路の名物D51」はなるほどいろいろと変わった装備や形状をしている。戦時型であるがゆえの設計に加え、長野工場独特の装備も付加しているのであるからこれぞ変形機といえるだろう。煙室扉前面上部の未改装(ボイラーも扉も上部切り欠きのまま)・戦時型のカマボコドーム(前後の形状も台形で変形)・長野工場形切取りデフ(Nー2形ー関 分類)・同工場製式集煙装置・同工場式運転室換気装置などなど・・・、模型ファンならぜひモデル化したいようなカマである。これも多くの仲間がいたD51ならではのことなのだろうが、幸いにもこの862号はしぶとく生き延び、現在も東京都町田市に保存されてその姿を見られるの嬉しい限りである。

 
味わいのある顔立ちのD51862[木]

862以外にも区内には前回も会った902[木]や中津川の827・849といった面々が休んでいた。庫の端っこでは769が顔を出し、隅の方では192が出区を待っていた。お馴染みのカマばかりとはいえやはり変化はあるもので、給水塔脇で火を落としていたC1282の姿はなく、おそらく廃車となって長野工場に送られてしまったのだろう。(その3参照)マスコットのデフ付きC12199は見えなかったがこちらは上松あたりにでも仕事に行っているのだろう。またC1282の代わりには上諏訪から来た171号が警戒塗装で張り切って動いていた。今日862の隣に居た902は五ヶ月前には862の位置におり、902がいた場所で撮影した787はちょっと前に廃車となって御代田町に保存されている。

 
これから仕事のD51192[中]と木曽福島駅のD・Jスタンプ

汽車と機関区で過す時間は楽しく、あっと言う間に二時間ほどがたってしまった。もう走行写真を撮るのもめんどうになり、帰宅の行程も考えるとあまり余裕がなくなってしまった。ということでちょうど前回と時間も同じ頃、同じように少し中津川寄りへ入って戻ってくることにした。


832レで野尻へ

木曽福島14:58ー832レ名古屋行→上松1507/25→野尻15:59

木曽福島からは前回と同じく832列車に乗車した。ただ昨年(昭和45年)末に訪問した時は蒸機が牽引していたD51牽引の旅客列車はこの4月26日の改正で全てDD51の牽引となっており、汽車に牽かれる列車の旅は楽しめなくなってしまっていた。したがって車中をスナップするでもなく列車に揺られ、一時間ほどの野尻で下車することにした。そう前回と同じくここで2本の蒸機列車に出会えるからであった。

野尻にて

 
下り貨673レを牽いて停車中のD51200[中]

またやってきた野尻駅、何かデジャヴを見ているようで待つ列車も同じである。ただ違うのはここで撮影した4652レ(D51+後D51)の代わりに前回運休だった貨673レが三番線に停車中であり、向きは反対だが牽引機は何と同じD51200であった。不思議と同じような光景に惑わされていたが200号のプレートは汚れており、「良く働いているんだなあ」との思いを強くした。
ほどなく上り貨4652レがやってきたが、今度はこちらが運休なのか貨物はなくD51の重連のみという姿だった。そして先頭は中津川の名物機777で、前回は良くとらえられなかった姿をはっきりと見ることができた。なぜかデフに「大きなツバメ」マークのペイント(落書き?)がされているのが印象的であった。

 
ラッキーナンバー777。デフには大きなツバメマーク[中]

帰りは831レ

野尻16:28ー831レ塩尻行→塩尻18:26

二度目の831列車はやはりDD51の牽引であった。ほんの五ヶ月前はD51のドラフトが楽しめたのだが、確実に木曽路にも近代化の波が押し寄せてきていることを実感した。急に写欲も失せ、このDLが何号だったかも記録に残っていないのは現金なものだが当時の心情としては仕方のないところだろう。
ついうとうとしたのだろうか、いつのまにか木曽福島も過ぎている。ところがここで異変?に気がついた。何故だか前方で蒸機の汽笛がしている。よくみるとDD51の前にD51が連結されているではないか!「運用の都合か回送か?」といろいろ考えたがいずれにしても嬉しい出来事が起きていた。旅の終りもまたD51牽引の列車で終えることに感謝しつつ車窓から先頭の「煙」をスナップしつつ塩尻へと向かった。

夕暮れの木曽路に白煙がたなびく
併行する国道に車の姿はない

塩尻に到着した831レ 先頭は前回もお世話になった849号機だった。

帰宅は「アルプス」で

塩尻18:30ー1412M急行「アルプス10号」新宿行→新宿22:25

塩尻到着後、お世話になったカマはと見れば前回と同じD51849であった。その時は野尻などでシャッターをきったが木曽福島で前にD51921が着いたので塩尻で正面をとらえたのは初めてだった。またさすがに季節が変わっているのでまだわずかに陽もあり、明るいなかで撮影することが出来た。
旅の終りもD51で締めくくり、今回はひとり旅なので早く家に帰りたくなりすぐ接続の急行「アルプス」に乗り込み、夜行日帰りながらも収穫の多かった長野と木曽路の旅を終えた。 おしまい


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