JR中央線国分寺駅から徒歩10分(バス停なら2つ目)ほどのところにある「武蔵国分寺公園(泉町公園)」の事務所脇入口にある記念碑に埋め込んである動輪。周知の通りかつてこの場所にあった「中央鉄道学園」にちなんだ記念物として蒸機の動輪が選ばれたのである。往時をしのぶ遺物や鉄道に関する展示物などはまったく残っていないこの跡地(広い公園と住宅地となっている)の中で唯一「鉄道」を感じさせるモニュメントである。
外周の刻印は塗装などではっきりとは読み取れないが「27077 D シ 47-7 T721」のように見えた。(間違っているかもしれないが)またその右側の細い文字は「N・N シ47ー7」と読めるので、おそらく「長野工場 47年7月」ということであろう。
機番は塗装が厚くまったく確認できないが、そのまわりには「L3」の文字がはっきり読み取れた。
動輪の推察
この動輪は果たして何形式の何号機のものなのであろうか?上記の画像に現れた刻印などで推察してみると、形式はおそらくD51の第3動輪であること、設置時期も最近であり鉄道学園保管のものではないらしいこと、47年夏に長野工場で整備を受けていること、日本車輌の昭和13年8月と関連があることなどから推察すると、「昭和13年8月前後の日本車輌製のD51で、長野工場管轄内で47年7月以降も健在だったカマ」というディテールが浮かび上がってきた。これに該当するカマはD51は「D51134(13ー9)〜137(同)」のうち、新津で廃車となった135号が一番条件にあっているように思われる。しかし同機の竣工は13ー9であり、また廃車も整備を受けて間もない47ー9ー22であるので確実とは断定できない。ただ同機の廃車後他のカマが譲り受けたことも考えられるので、最終的にこの動輪を履いていたD51が何番なのかはまだわからない。
もっとも上記の刻印の意味などが異なればこの推論は成り立たないのであるが、 あれこれ推察することによって蒸機の歴史や経歴などを探る楽しみが増えてゆく。いずれにしても今後この「謎のD51動輪」の素性が明らかになれば幸いである。