小浜線のC58


戦後小浜線を中心に活躍したC58の在籍記録などをまとめてあります。

敦賀一(敦賀)機関区のC58 戦後の配置 抜粋 ※短期の借入などは除く ★は保存機

昭和20ー8ー31(以下年号は昭和)
24、74、152、171、278、300、337
※敦賀以前の配置区
24下関、74稲沢、152静岡、171金沢、278、300、337

40ー4ー1
24、75、171、248、278、294、300、301、317、322、337
転入
75(七尾より)、248(津和野より)、294(盛岡より)、301(多治見より)、317(黒沢尻〜北上)より、322(遠江二俣より)
転出・廃車
74(43ー10ー6沼津へ)、152(遠江二俣へ)

41ー1ー1(運用線区 小浜・敦賀港・舞鶴・山陰〜福知山まで)
24、75、171、248、278、294、300、301、317、322、337
転入・転出・廃車・・・なし

45ー6
75、109、171、195、228、248、250、252、278、294、322
転入
109(43ー9ー22 高山より)、 195(43ー12ー21美濃太田より)、228(43ー12ー21美濃太田より)、250(43ー12ー21美濃太田より)、252(43ー12ー16稲沢一より)
転出・廃車
24(44ー9ー4×)・294(46ー3ー15×)・300(44ー9ー4×)・301(43ー12ー3×)・ 337(44ー5ー1×)
317(43ー8ー4沼津へ)

46ー3ー31
49、109、171、195、228、248、250、252、278、322、365
転入
49(45ー10ー4芸備線管理所より)、365(46ー3ー1遠江二俣より)
転出・廃車
75(45ー10ー26×)・294(46ー3ー15×)

訪問時(46ー8)=最終期
171、195、202、212、228、248、263、278、325、365
転入
202・212・263・325すべて七尾より(46ー4〜7の間)
転出・廃車
49★(46ー8ー19× 静岡県掛川市に保存)・109(46ー4ー23×)・250(46ー6ー21×)・252(46ー10ー24会津若松へ)・322★(46ー4ー17×静岡県三島市に保存)

無煙化(46ー9)後の動向
171★(46ー10ー20×小浜市に保存)・195(46ー10ー11八戸へ〜47ー4ー10×)・ 202(敦賀第一×〜長野工場へ貸し渡し?)・212★(46ー10ー20×敦賀市に保存)・228★(46ー10ー9小牛田へ〜49ー5ー28×宮城県石巻市に保存)・248(46ー4ー17×)・263 (敦賀第一×〜長野工場へ貸し渡し?)・278(46ー10ー12八戸へ〜47ー4ー10×)・325★(敦賀で廃車になり金沢市に保存されたという記録があるが詳細不明)・365★(46ー8ー4小牛田へ47ー10ー11×宮城県仙台市に保存)


※小浜線を走った敦賀一区のC58保存車は(不明の325を含めて)7両。なお福知山・西舞鶴・豊岡関連のものは3両である。
関連機関区 蒸機配置 ★は保存機
昭和20ー8ー31
豊岡 17、18、35、260、262、263、264、265、284、285、286、360
40ー4ー1(41ー1ー1も同じ)
福知山 ★56、57、58
西舞鶴 87、290
豊岡  80、223、316、399
45ー6
福知山 57、164、222
西舞鶴 87、113、170、290
豊岡  80、201、223、316、327
46ー3ー31
福知山 57、222、223
西舞鶴 ★113、★170、204

※福知山区のC58は小浜線も走っていたが、西舞鶴区のものは宮津線の運用が中心で小浜線には入らなかった。舞鶴線には敦賀一・福知山・西舞鶴の3区のカマが入線していたはずである。

主なエピソード


晩年を共にした3両
202・212・263の3両は45ー6(高崎一)〜46ー3(七尾)〜46ー10(敦賀一)と共に移動し働いたが、保存されたのは212だけであった。

陸東の最後を務めた228
46ー10ー9小牛田へ移動した228は陸羽東線の最終期の1両となり、48年4月24日、変則運用の中単9768レとなって小牛田へ帰庫した。これが実質上の陸羽東線最後のSL(C58)牽引列車となった。機はその後の冬期復活に備えて籍は残り庫で待機していたが、結局C58の復活はなく、49ー5ー28付で廃車となり、宮城県石巻市に保存された。

C58202登場の記事
機関車自体が主役ではないが、鉄道ジャーナル宸R6(1970年6月号)の「列車追跡シリーズ22 その名は“列車掛”」(文・東健一朗、カメラ・永崎祐之)の中で、対象となった列車「高崎操→寄居 226レ」の牽引機として202号が登場する。主役は列車掛だが、202号もキャブや正面など随所に写真に登場する。また取材時には次位に回送補機として212号も連結されていた。後年小浜線まで行動を共にした2両のC58が一緒に趣味誌に登場していた記録のひとつである。

お召し列車の牽引
昭和43年(1968)10月の福井国体の際に運転されたお召し列車を小浜線と宮津線内をC58が牽引した。
10月4日 敦賀→上中 間 C58171[敦一]
10月5日 若狭高浜→東舞鶴→西舞鶴→豊岡 C58223[豊]+C5856[福]
※10/4もC58223+56とする説もある。

小浜線の無煙化
46ー9ー25をもってC58からDE10に転換、9/25に「お別れ列車」が運転された。敦賀〜福知山 の上り938レ、下り937レで、牽引は敦賀〜西舞鶴がC58171(敦一)+C58195(敦一)の重連、西舞鶴〜福知山がC58195であった。(ヘッドマーク付)

撮影ガイド掲載誌
「季刊 蒸気機関車」69増刊 鉄道写真撮影読本(附・全国SL撮影ガイド)キネマ旬報社 213〜214ページ 若林泰之氏など
「蒸気機関車」71ー1(11号)裏縦貫のSL大特集
「裏縦貫のローカル」若狭路/小浜線 島津敞史氏 2P モノクロ3枚 C5874?・169ほか
 
小浜線(西舞鶴からが下り) 当時の駅名
敦賀ー西敦賀ー粟野ー東美浜ー美浜ー気山ー三方ー藤井ー十村ー大鳥羽ー若狭有田ー上中ー新平野ー東小浜ー 小浜ー勢浜ー加斗ー若狭本郷ー若狭和田ー若狭高浜ー三松ー青郷ー松尾寺ー東舞鶴ー(舞鶴線)ー西舞鶴ー真倉ー梅迫ー淵垣ー綾部ー(山陰本線)ー高津ー石原ー福知山


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