銚子市に保存されていたが老朽のため解体された18688の動輪と先輪が市内某所に残っていました
※2010年7月撮影、この画像は銚子市の琥珀様所持のものをTADA様を通じて御提供いただきました。なお静態保存時の様子はTADA様(汽車・電車1971〜主宰)のサイトも御参照下さい。画像はこちら
18688
大正8(1919)年2月、汽車会社製造(製造番号317)。 主に関東地区に配属され、桐生-小山-千葉-館山などの区を歴任。昭和38(1963)に信州・長野へ移動し、飯山線を中心に働く。晩年は長野区(運転所)にあって、僚機88623とともに主に飯山線の朝の通勤通学列車の牽引にあたっていた。ともに良く整備され美しい姿で信濃路を走り関東甲信越地区最後の8620としてファンの人気も高かった。最後は無煙化ではなくC56に後任を任せて昭和46(1971)年に引退、12月13日に廃車となった。廃車後は千葉県の銚子市に保存されたがいつしか老朽化・荒廃してしまったため惜しくも解体されてしまった。
エピソード