春の信州46年 その1  昭和46年5月

長野運転所で憩う18688[長]

第五回目は飯山・長野・木曽のスナップ旅です。

ゴールデンウィーク

昭和46年の5月、まだ当時は「大型連休」などなく「飛び石」の休みであり、学校もカレンダー通りが当たり前であった。趣味誌を見ればあちこちで汽車の話題が取り上げられ特にこの夏で消えそうな線へ注目が集まっていた。春休みの撮影旅行から二ヶ月しかたっていないが、どういうわけか私はまたも夜行日帰りで信州へでかけることにした。そのきっかけは『蒸気機関車』誌に載った一枚の8620の写真であった。『飯山の88623』と題されたそのグラビアは、まだこんなに美しいハチロクが本州に残っていたのか!と思わせる素晴らしいもので、その機関車が客車列車を牽いているというのも驚きであった。当時(昭和46年3月)すでに8620は本州では五能線や越美北線と一部の入換え用しか残っておらず(その少し前までは花輪や水戸、平、近畿地区、福塩線などに見られた)、さらに定期の客車牽引となると、その五能や九州の室木・香月線というはるか遠いところまで行かなくては見られなかったのである。
この「デフなし・化粧煙突・大型前照灯で、普通プレートとデッキの手すりを除けばもっとも原形に近いハチロク」に会ってみたい!という気持ちで何とか承諾をもらい、5月の休前日に上野から夜行普通列車で信州へと向かったのである。今回は同行者はいないが何回かの撮影行で実績?と積んだので許可はおりた。ということで45夏の七尾線を除くと初の「ひとり旅」になった。

信越本線341列車直江津行

上野22:40入(14)22:59ー341レ直江津行→長野05:26
長野05:38ー123D戸狩行→飯山06:27

私が乗車したのは上野発22時59分の普通列車直江津行であった。なぜこの341レを選んだのだろう?当時の時刻表を見てみると長野に早朝着くこの他の列車は3本あり(※)、いずれも341レより後に発車して先に長野に着くようになっている。おそらくどれも急行だったので節約したためと接続時間の切り詰めを考えてのことだったのだろう。
この341レの様子はほとんど覚えていない。ただ異様な混み方で、長野までまったくもちろん座れず身動き出来なかったことだけを覚えている。極端なようだがこれは確かなことであり、いつ碓氷峠を越えたのかもわからなかった。それだけ当時もこの休みを利用して信州方面へ出かける(それも鈍行で)人たちが大勢いたということなのだろう。

※341レ以降の長野着夜行列車(昭和46年5月 一部省略)
上野2346-6301M急行「妙高5号」直江津行→長野0428
上野2358ー301レ急行「妙高6号」直江津行→長野0500
上野0020-◆6303M急行「信州5号」長野行→長野0516


飯山の朝

“汽車のいる風景”、飯山駅の朝はここから始まる
朝日を浴びる8620の後姿も風格充分
 

長野で飯山線の戸狩(現・戸狩野沢温泉)行に乗り換え飯山に到着。幸い朝日がさし天気もいいようだ。さっそく構内をながめると盛んに蒸気と煙があがっている。「いる いる!」と感じるこの瞬間は何物にも変えがたい楽しみで、蒸機が好きな方ならあの頃は誰でも感じた「ファースト・インプレッション」だろう。  カメラを持って近寄ってみると目指すハチロクはあの88623ではなく、もう一両の18688の方だった。残念と思うがよく見てみればこのカマもデフなしで大型前照灯である。煙突がパイプということをのぞけばやはり美しい機関車に変わりはないし、長野区の整備の良さと朝日に輝く姿は一級品の蒸気機関車を見る思いがした。30分あまりの余裕があったので構内に入れていただく。もと機関区だった飯山の構内は広く、転車台や木造の庫などもありいいムードが漂っている。嬉しいことにもう一方の主役であるC56も129号が休憩していて私を迎えてくれた。(このカマは現在も駅隣接の公園にゆかりの機関車として静態保存されている。)

 
構内にはC56129[長]も一息入れていた

飯山線222列車

飯山07:00ー222レ長野行→豊野07:40頃/50→長野08:12

この朝の通勤・通学列車222レは飯山を7時に発車し、ゆっくりと一時間余りをかけて県都長野まで走っていた。客車5両(途中豊野で1両増結)が定数だったためC56では荷が重く8620の牽引で残っていたということだが、何らかの事情(2両の8620の検査時や繁忙期など)でC56は牽くこともあり明確な理由にはなっていなかったような気もする。この時は休日だったため本来のお客は少ないようで、のんびりと車窓を楽しみながら18688に牽かれた蒸機列車の旅を楽しんだ。

18688と飯山発車準備完了の222レ お馴染みの構図だ
 
飯山駅名標とホームの客車 ギラリと輝くハチロクの側面
休日のためかガランとした車内

  

蓮ー替佐間は今でも千曲川を望む段丘上を走る好撮影地であるが、やはり8620の牽く列車に乗る、という目的が第一だったため、汽笛と煙、そして美しい風景をながめる方を選択した。

 
豊野で1両増結するため少々停車。スタンプはリンゴが外枠のもので可愛らしかった。

その2へ  汽車の思い出目次へ トップへ
『鉄・街・道』掲示板