春の信州46年 その2  昭和46年5月

    長野駅

長野駅に到着した222レ、左上に停止標示がある。
 
46年当時の長野駅舎 スタンプはこちらも「りんご枠」だった。

午前8時過ぎ、222レは長野に到着した。この後は隣接する長野運転所を訪問することにした。


長野運転所

蒸機の姿は少なくなってしまった扇形庫

長野運転所(以下、長野区と略)の蒸機は45年2月の篠ノ井線無煙化で主役のD51がほぼ引退し、以後は飯山線と周辺入換用のC56・8620数両を残すのみといったさびしい状況になっていた。一部残っていたC58やD51(172ー木曽福島へ転出、824ー諏訪に保存)も春までには消え、46ー3現在の配置はC56(109・111・129・131)4両、8620(18688・88623)のわずか6両のみとなっていた。それでも職員の方々は運転所への訪問者をあたたかく迎えてくださり、きれいに整備されたカマにその愛情を感じ取ることができた。
※その後長野区は「ファミリーD51号」の運転などでD512(稲沢1区)や207(米子区)などが転入(借入)したり、上諏訪のC56の集約化などで若干配置が増える事はあったが、実質は45年で幹線機関区としての役目は終えていた。

 
朝の仕事を終えて転車台で転向、これからひとやすみの18688
まだ形式入りプレートを付けていた名物機C56111もいた。

このC56111はかつて山陰におり、「ちどり」号の専用牽引機も勤めていた。そのためデフに「ちどり」のマークを付けている記録写真があるが、この長野時代もその名残りとして両デフにその取付金具らしきものが残っていた。画面では見にくいがデフ中央にみえる。

18688のアングル

 
キャブとテンダのプレート よく磨かれていた
 
動輪とキャブ回り
大正の名機8620の美しいサイドビュー

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