長野運転所に隣接してレンガ造りの大きな建物と何本もの留置線が敷かれているところがあった。もともとはここに鉄道省(国鉄)長野工場があったのだが30年代後半に工場移転後は「栗田分所」となり、訪問時は「長野運転所 第一分所」という名称の表札が架かっていた。この分所ではまだ一部蒸気機関車の修繕なども行っていたが、当時のファンは「栗田分所」と聞くと各地から集められた廃車のカマが解体を待つために留置される場所というイメージを持っていた。実際長野駅のホームからも錆び付きプレートを外された機関車がながめられたし、運転所へ向かう時に通る跨線橋からもその姿が確認できた。
私が訪ねた時も見覚えのあるナンバーや思いがけない形式のカマが留置されており、さびしい想いを抱きながらシャッターをきった。この跨線橋からこれらの廃車体をながめた方も多いのではないだろうか。
29643は46年3月8日付で稲沢一区で廃車となったもの。
このナンバーがわかる2両のカマ(C58248・C56153)はいずれもこの年(1971)の4月17日に廃車宣告をされたもので、ともに最後の時を迎えるために長野へ回送されてきた。C58248は敦賀一区、C56153は七尾区からである。C56の後ろのC12は番号不明だが、もし木曽福島にいた82号であるならこれも4/17の廃車日のカマであった。
この46ー4ー17という日付けで廃車となったカマの中にはこのように解体の運命をたどるものがほとんどなのだが、なかには保存されて生き延びた幸運なものもあった。名古屋のC57139、敦賀一のC58322、金沢のD5189、木曽福島のD51787などはその代表である。
※「第一分所」関連の記事
鉄道ジャーナル71ー1(SL情報)D5172・C56154・C57・9600など多数が解体待ち
鉄道ファン70ー10(POST)「栗田分所→閉鎖」と多数の解体機
※この廃車体の様子は「汽車・電車1971ー」(TADA様主宰)の「長野運転所72ー8 その2」にもアップされています。その1の運転所の様子もあわせて御覧下さい。
“動”の運転所と“静”の解体場でのさまざまな想いを感じつつ駅へ戻る。まだお昼前で時間はあるが再び飯山方面へ戻っても汽車には会えないので、いろいろ考えた末一番近い他の蒸機運転線区である木曽路へと足を伸ばす事にした。松本・塩尻を経るので少し時間はかかるがD51の顔を見てみたい、そんな気持ちで急行列車へと乗り込んだ。