昭和45年9月27日、首都圏無煙化記念の蒸機さよなら運転シーズンが始まった。まず最初は八高線の北部(高崎〜高麗川)で、ほぼ高崎鉄道管理局の管内ということで同局の主催で企画された。
私は「高麗川あたりまででかけてそのあたりで上下の走行を撮ろうかな」程度に考えていたのだが、当日何を思ったのか早起きして高崎線の電車に乗ってしまったのだった。それから先はどうするか考えていなかったが、とりあえず「さよなら列車」の発車するホームへ行ってみることにした。
「出発式」の行われているホームは人であふれ、まさにSLブームの熱狂を思わせるものだったが、その人をかきわけなんとかD51をスナップしてその後を思案した。この列車が定員制であったかどうかは記憶にないが、ホームの混雑の中でなぜか車内に入ってしまっても座れはしなかったがそのまま乗車してもなにも言われなかったので押し込まれたまま「さよなら列車」の旅を楽しむことになった。
もっとも満員電車なみなので自由に車内をスナップしたり、窓から列車を写すことなど至難の技の状態は仕方のないところ。残されたスナップもわずかで長時間停車の一部の駅で機関車をスナップできた程度であまり車中の印象は思い出せない。知らず知らずのうちに時間は過ぎ、気が付けば多くのファンでごったがえす高麗川駅に到着していた。
高崎局の一連の「SAYONARA SL」のヘッドマークは足尾・八高とも共通のものを使用し好デザインのものであったが、惜しむらくは蒸機のイラストが9600風であったことだった。無論9600も高崎局では 同区の9600が昭和45年初めまで高崎操車場の入換え用などとして従事しており、まったく無関係ではなかったが、この運転時にはすでに消えていた。(八高線の高麗川周辺に関しても、川越線と高麗川の専用線、また一部八高線に区間運用があり9600が使われていたが、これはすべて大宮区のカマで、前年の9月末でこちらも引退していた。)