到着した高麗川駅はホームといわず構内といわず人であふれていた。
今回の記念乗車券・入場券関連は八高・足尾線向けそれぞれ別々で、八高線向けは9月27日にD51重連の写真の記念乗車券(一種)と4枚一組100円の記念入場券(上記掲載)のセットが発売された。なお足尾線向けは運転日に合わせて10月4日に同じく乗車券(高崎〜神土間・一種 高崎駅・前橋駅発売)と4枚セットの入場券が二種(桐生駅・前橋駅で発売、図柄が異なる)発売された。また八高線関連では10月4日の東京西局主催の運転ではまた別の記念乗車券・入場券(後述)が発行されたので収集の人は金銭や労力の面でたいへんだったことだろう。
これらの記念入場券は「八高線無煙化」というより今回(昭和45年10月)の足尾・八高線の無煙化をもって高崎鉄道管理局管内から蒸気機関車が消えた、ということでの記念という意味合いが大きかったらしく、図柄は管内の過去の蒸気機関車運用の記録写真を選んでいる。懐かしく貴重なものではあるが若干色合いなどとともに地味な印象を与えるものであった。
また乗車券ケースの表紙は「SAYONARA SL 1970」の文字とともに足尾線のC12重連のイラスト、裏表紙には「管内SLのあしあと」として管内各線区の無煙化日を表示していた。
この画像に写っている「記念入場券・乗車券」発売の案内は10月4日に東京西局主催で運転される「さよなら列車・八高号」関連のもので、高麗川は西局なので発売の案内をしていた。
※牽引機プロフィール
D51631
昭和16年(1941)6月17日、日本車輌製(製造番号941)。製造から廃車までほぼ関東地区で働き続けたD51で、昭和22年には宇都宮におり東北本線や日光線などで働く。のち高崎一〜大宮〜八王子〜新小岩など首都圏お馴染みのD51配置区を歴任し、45年には再び高崎一区に戻ってきた。
なお同機は昭和40年前後に大宮区に在籍していたが、このとき今回同じく八高線の「さようなら列車」を高麗川〜八王子で牽引したD51515も大宮に配置されており、「同じカマのメシ」を食った仲間であった。
廃車日も昭和45年11月28日と同じである。
C58309
昭和16年(1941)11月、川崎車輌製(製造番号2603)。製造からずっと関東地区で働き続けたC58で、 戦後からしばらくは千葉におり房総地区を走っていた。その後高崎一区に移動し八高線を中心に働きこの「さよなら列車」牽引機に選ばれた。八高線無煙化後は陸東石巻線管理所(小牛田)に転出し、最後の働きをした後昭和46年度に当区で廃車となった。
この運転の一週間後の10月4日には今度は八王子〜高麗川間で東京西局主催の「さよなら列車」が走るという。国鉄も力が入っているというかそれだけ「東京に近いSLが消える」という思いで運転が計画されたのであろう。いずれにしても来週もなんとかでかけてみたい気持ちになっていた。