汽車旅 中山道

 35 藪原宿 

宿場名 藪原 現在地名 長野県木曽郡木祖村藪原 前宿場:本山 次宿場:一里三十三町で宮ノ越宿

鳥居峠を越えてたどり着く宿場 藪原 昭和63年(1988)6月撮影 

上画像から約40年後の同地点(やや奈良井より撮影)奧左手が「こめや」

藪原宿の中心はは中央本線藪原駅のやや奈良井寄りにあるため、駅前は旧中山道ではないので閑散としているが、何軒かの駅前旅館が健在である。宿場は少し北へ戻ったところから始まる。薮原は奈良井宿との間に鳥居峠を控え、また中山道六十九次のちょうど中間にあたり、木曽十一宿の中でも多くの大名などが宿泊したという。ここも何度か多くの大火に見舞われたため、古い建物などはほとんど残っていないが、その中でも貴重な資料を残す宮川家や江戸時代から続く旅籠で最近まで旅館として営業していた「こめや」など宿場時代の面影を残すものが散見される。宿場あとを示す標示柱や説明板もある程度設置されている。


宿場の旅籠の面影を残す「こめや」(当時はまだ営業していた)1988年6月
廃業はしているが建物はそのまま健在の姿 2019年7月

本陣は宿場の北外れにあった。大きいものだったらしいが建物などはなく跡を示す標示柱が建っている
標示柱はそのまま 跡はこの先にできた蕎麦屋の駐車場などになっている 2019年7月

 宿場を歩く 

こめやの向かいにある湯川酒造は江戸時代から続く老舗で今も銘酒「木曽路」を製造販売している
藪原宿の特徴の一つである宿内にあった「防火高塀」(左手)の名残がみられる。下の画像は昭和50年(1975)8月の風景

木祖村は観光にも力を入れていて、過去から多くのパンフレットを発行している。その中には中山道や鳥居峠をメインに藪原淑についても必ず記載があるのは嬉しい。最近は「源流の里」を一つのテーマにしているようだ。(観光ポスターにも採用されている)

上右のパンフレットのなかで紹介されている藪原宿(弐 里の道)右:「こめや」の前が表紙のもの

宿場概要(参考文献・資料より)

江戸時代には尾州領、宿高なし。信濃国筑摩郡 宿内町並み 南北へ五町
天保14年(1843)の人口、1493人(男706人、女787人)、家数266軒
本陣:1軒 上町…寺島氏 脇本陣:1軒 中町…古畑氏 旅籠十軒


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