かつて国鉄稲沢区に保存されていたC50101?と思われる動輪は現在JR貨物の愛知機関区の事務所横に移設されて健在でした。なお刻印を確認したところ、この動輪は石碑に埋め込まれたC50101号機の
ものではなく、昭和47年に豊橋区で廃車となったC5095号機の第2動輪であることが判明しています。
「・・・20年前と比べると、C50101のプレートが赤地に変わっていますが、ほかは特に変化ないようです。また、動輪の刻印を調べたところ、C5095が確認できました。C5095は豊橋区の入換機として晩年を過ごした機関車ですが、何らかの事情で動輪がC50101号機に移設されたのか、あるいはプレートと動輪を別々の機関車から集めて設置したのかまではわかりません。(吉野様)」
C5095
昭和4年(1929)日本車輌製造。新製配置は中部地区と思われる。昭和6年には静岡におり、その後名古屋ー稲沢ー名古屋を中部地区の機関区を移動、主に周辺地区の入換え作業に従事していた。晩年は豊橋区に在籍し、兄弟機の96とともに構内入換で働き昭和47年(1972)2月7日、同区で廃車となった。
ナンバープレートの101号の経歴
昭和8年に札幌、22年苗穂、36年沼津に在籍。最後は稲沢第一区で名古屋港などで入換えを同僚の143とともに勤めていた。無煙化とともに役目を解かれ廃車は昭和46年9月30日。この上記の画像は昭和61年(1986)のものである。
エピソード
最後の相棒であった弟の96号機は同時に豊橋で引退し、静岡県焼津市の東海道本線の線路近くに保存されている。