煙室扉やナンバープレートとともに鎮座
この動輪は煙室扉のC58230のものではなく、刻印によって194号のものであることが確認できましたので標題を変更いたしました。「9」の文字が微妙ですが…。
C58230
昭和15年(1940)5月、川崎車輌製(製造番号 )
製造から廃車までその生涯をほぼ中部・東海地区で過ごしたカマ。稲沢一や美濃太田などを歴任し、最後は沼津区の構内入換え作業が仕事であった。廃車は昭和45年6月。主な移動歴は昭和16稲沢一→20美濃太田→24美濃太田→36稲沢一→41稲沢一→44沼津。
エピソード
同機の兄弟のうち、弟の231号が山形県上山市に保存されている。なお動輪の刻印「1○4?」に該当するものは廃車時期などを考慮してもなかなか見つからない。230現役時に豊橋に194号がいたが230より後に廃車になっており、時期的にみて230号が履き替えた可能性は低いが煙室扉だけではと展示時に手近な廃車機の動輪として持ってこられたということもあるかもしれない。
C58194…昭和14年(1939)11月、汽車会社製造(製造番号1848)。多治見区に配置され、終始中部地区で働く。稲沢区は美濃太田区などを経て最後は豊橋区にてC50のあとを受けて入換作業に従事し昭和46年(1971)3月に廃車となった。