この動輪の展示場所は現在閉鎖中で新しい施設の建設用地となっています。したがって動輪の今後は不明ですが何らかの変化はあると思われます。(FOOL様)
再展示が予想されているこの建設現場に保管されてます。訪問の際には許可を得るなど充分な配慮をお願いします。「都城市総合文化ホール」(仮称)
D511095
昭和19年 (1944)5月31日、日車製(製造番号1283)。新製配置は弘前で、戦中ー戦後を通じて奥羽本線北部で働く。20数年を弘前で過し秋田に移るが無煙化により47年末に一転南九州の南延岡へ移動する。最後は日豊本線の南延岡ー宮崎を中心に活躍し、49ー4ー25の南宮崎電化まで頑張った。「九州最後のD51」の1両ともなり廃車は49年6月12日。
エピソード
同機の周辺ナンバーは保存機も少なく、また晩年まで近くで働いていた仲間も長門区の1091ぐらいでみな東北地区で役目を終えたものばかりであった。そんな中でひとつ上の兄1094号はともに弘前に配置され、生れも19ー5ー31(製造番号は1094は1282)の同日という「双子」のような兄弟であった。そして1094号は24年にC6120号に改造され、奥羽電化までは青森にいたため形式違いとなったものの一緒の職場で顔を合わせていた。さらにC6120は宮崎へ転じたため、後に南延岡へ移った1095と日豊本線のどこかで再会していたと思われる。48年中のほんのわずかな期間であっただろうが、不思議な縁で結ばれていた兄弟機であろう。なおC6120は群馬県伊勢崎市に保存されていたが、最近JR東日本の新たな動態保存機として復活することになった。弟の1095の動輪にとっても喜ばしいことであろう。