JRの工場内に展示。当工場の最後の中間検査機であったため廃車後動輪を含むエンジン部が保存された
D51214
昭和13年(1938)12月26日、鉄道省鷹取工場製造(製造No.04)。米原区にて使用開始され、敦賀・米原区など主に近畿地区の機関区を転任、戦後は主に山陽路で活躍し、広島区などを経て昭和20年代に正明市区(→長門区)に配属され、その後はほぼ山陰本線西部を職場とした。本州最後のD51の活躍した山陰本線で任を全うし、昭和50年(1975)1月24日に同区にて廃車となった。
エピソード
同機のひとつ上の兄機213号の動輪が広島市内の小学校に保存されている。214号とは働き場所がやや異なっていたが、1960年代には下関区に配置されていたのでともに山陰本線で活躍して顔を合わせていたかもしれない。なお同機のナンバープレートを付けたD51の模型が東京都葛飾区の北鹿浜交通公園内の資料展示スペースに飾られている。なぜ213号なのかの由来は不明。
広島工場で最後の中間検査後出場して三ヶ月たった頃のためか、コンプレッサーなどの装飾などどことなくきれいな整備の姿をとどめていた。