保存動輪 D51407

D51407動輪(第3)広島県竹原市 市立竹原西小学校に保存 seizi様ご提供

「407」の刻印は明確だがわずかに左にで D51らしき文字も見える

刻印の「407」の左下部に「D51」が読み取れ、その横の二本の取り消し線はそれ以前に履いていたカマのもの(判別できませんが)だろうか。したがってこの動輪はD51407が最終的に履いてたものと思われる。同機も晩年を山口線で過ごしたカマなので動輪の譲渡経由としては同じようなことがあったのであろうか。


※この動輪の保存場所は公共の教育施設内なので見学などの場合は許可を得るなどの配慮をお願いいたします

D51407

昭和15年(1940)4月、日本車輌製造(製造番号782)。 最初は新潟地区に配属され、のちに長野へ転じて信越本線などを中心に活躍。信越本線(長野ー直江津)の無煙化に伴い、昭和41年(1966)に遠く山口線管理所(津和野)に移動、ここで最後を過ごし昭和47年(1972)12月に廃車となった。


エピソード

D51400ー409番号機の幸運


同期の兄弟機である400ー409号の10両の番台のうち、400号と406号を除く8両が静態保存あるいは動輪保存という形で現在も姿を残している。このうち信州で同時期に過ごし、のちに山口線(津和野)までともに移動し活躍した二つ上の兄機405号も千葉県松戸市に保存され健在である。なお同番台の保存先は、401長野県須坂市、402長野県飯田市、403滋賀県栗東市、404新潟県長岡市(動輪)、405千葉県松戸市、408神奈川県川崎市、409滋賀県湖南市(甲西)を経て岐阜県美濃加茂市、以上である。


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