D51426
昭和15年(1940)7月24日、日本車輌製(製造番号801)。新製配置は北海道函館と思われるが、ほどなく内地へ戻り尻内(のち八戸)区に移動、東北本線北部で活躍。補機仕業などをこなし長く尻内で過したが、「ヨン・サン・トオ」で役目を終え、はるか西日本に転属した。最後は厚狭区で美祢線で働き47年4月28日に同区にて廃車となった。
同機の前頭部が東京の交通博物館入口(現在は大宮の「鉄道博物館」に移設)に保存展示されているのはよく知られているが、動輪が広島に残っていたのも驚きである。