筑豊のナメクジも最後は南に下って桜島の噴煙をながめる毎日を過しているようだ。
D5142
昭和12年5月8日、汽車会社製(製造番号1455)。同機は戦前は亀山など関西地区にいたが、のち羽越線の坂町区や東北本線の長町などに移動しもっぱら北の方で活躍していた。その後30年代後半になって一転九州に渡り直方に配置となった。SLブーム晩年には門司の45号、鳥栖の10号などとともに数少ない北九州の「ナメクジ」としてファンにも人気が高かった。最後は南延岡に移り49年6月12日に廃車となった。
エピソード九州最後のD51の牙城となった南延岡区の最終メンバーは14両を数えたが、廃車後静態保存されたのは485・541の2両のみであった。それ以前の所属機にも保存機はあるので一概にはいえないが、最後まで残ったD51にしては少ないようであった。ただ42号と同じく南延岡で最後を迎え、同じ日に廃車となったD511095号の動輪も宮崎県都城市に保存(現在は仮の場所)されている。