D51465 昭和15年(1940)5月27日、汽車製造会社製(製造番号1884)。戦前は大宮ー戦後高崎一を経て北海道へ移動した。昭和23年には追分にいたがその後はずっと小樽築港区で過す。最後に追分へ再び戻り室蘭・夕張線で働き、「日本最後の国鉄営業線走行D51」のうちの1両となった。廃車は当然最終の51年3月10日。同機も保存が予定されていたが、追分区で被災し惜しくも解体されてしまった。
同機の動輪は追分町のJR追分駅前にも保存されている。画像はこちら(鹿公園から移設)