D51484
昭和15年3月12日、鉄道省小倉工場製(製造番号31)。新製配置はお膝元の大里(門司)だったがまもなく鳥栖に移動、戦後すぐには広島第2に移動して山陽路を走った。その後23年に北海道に渡り旭川、40年代前半に遠軽へと職場を変えつつも生き残り、最後は国鉄蒸機終焉の地・室蘭本線の追分区で迎えた。廃車は51ー1ー17であった。 ※配置履歴(略)昭和16鳥栖ー22年広島2ー30年旭川ー45年遠軽ー50年末追分
※上記画像の説明書きには「大宮機関区を振り出しに・・・」とあるが、履歴によれば同機の新製配置は九州の大里区(のちの門司区)であり、その後も東北本線筋の機関区に配置された記録はなく、大「宮」と大「里」を見間違いしたのだと思われる。
同機の栄光の記録として「お召し列車の牽引」があげられる。昭和29年夏に行われた北海道御巡幸の際、8月12日に石北本線の旭川(東旭川)→遠軽間で同機がその栄誉に浴している。この御巡幸においては道内に限らず多くの蒸気機関車が牽引を担当しており、現在も静態保存されているC5757やD51333、C58106がこの時の担当機である。なお同機を引き継いで遠軽→北見間を担当したのはD51277であり、二日後に釧網本線で牽引したC58のうち62号機の動輪が美幌町に保存されている。
同機の前後の兄弟機も幸運なカマが多く、480番台でいえば481・483・485・486・488・・と5両もの静態保存機がいる。特に483・485の両兄弟はともに小倉工場製造の続き番号である。
※なお同機の動輪(第3?)は千葉県のJR新浦安駅前にも保存されていたが、近年この動輪と思われるものが埼玉県蓮田市のJR東北本線(宇都宮線)の蓮田駅西口に移設されている。画像はこちら