提携サイト『とらや』一周年記念

思い出の駅 その1 岩見沢駅

風格ある“汽車駅”の面影を残していた駅舎 1980年8月撮影

私が訪問した思い出の「駅」を紹介するコーナーです。第一回目は弊サイトでもリンクして頂いている北海道の鉄道を中心としたサイト『とらやの写真箱』(寅さん主宰)の開設一周年記念企画に合わせて、蒸気機関車が似合っていた函館・室蘭本線の岩見沢駅のスナップを掲載いたします。

 
ホームの向うにはいつも蒸気機関車の姿があり、列車を待つ乗客にも活気があった。 1973年8月

岩見沢駅を初めて通ったのはおそらく昭和48年(1973)8月のとある夜だったように思う。「通った」というのは乗り降りをしていないということなのだが、その時私はD51の牽く臨時急行に乗っていた。すでに函館本線内では定期の蒸機牽引急行はなくなっていたが、48年前後のシーズンには運用の関係からか「狩勝52号」という根室本線に入る夜行急行列車が札幌ー岩見沢を岩見沢一区のD51が牽引していた。偶然これに巡り会ったわけだが、残念ながら当時は夜間の撮影技術というものを持っていなかった私にはその列車の記録は残っていない。札幌を出発したこの急行が最初に停車した駅が岩見沢であり、構内に休む多くの蒸気機関車の黒い姿を停車中にながめた記憶がある。そしてその数日後に室蘭本線の蒸機を撮影するために乗り換えで降り立ったのが岩見沢駅への第一歩になった。

 
ホームの賑わいと旅客列車の発車準備にカマの火を燃やすD5113

当時は機関車以外のものにカメラを向けることは貴重なフィルムのことを考えるとなかなか気軽にスナップというわけにはいかなかった。けっして鉄道施設や他の車輌に興味がなかったのではないのだが、何よりもまず蒸気機関車へシャッターを切るのが第一だった。後年の鉄道旅行での何でもスナップの大切さを思うと後悔の念があるがこれは仕方のないことである。それでも汽車待ちの時間や余ったコマを消化するためにきったシャッターによって残された懐かしい風景をもって当時を振り返ってみることができるのがせめてもの救いである。

 
駅によく似合ったスハ32の旧型客車編成列車と駅のDJスタンプ

岩見沢駅

明治15年(1882)11月13日、手宮ー幌内間の開通によって開業。同25年(1892)8月、室蘭本線も開通。その後の路線延長・改廃などによって函館・室蘭・万字(分岐は次駅の志文)・幌内線が接続する要衝となる。物資の集散や動力車基地としてもヤードや岩見沢第一・第二の機関区などを擁する交通の中心として岩見沢駅は栄えていた。時代の推移とともに主要な輸送貨物であった石炭も衰退し合理化も進みつつあった昭和50年12月、日本最後の蒸気機関車牽引の定期旅客列車(225レ)がC57135(岩見沢第一機関区所属)に牽かれて到着し、蒸気機関車の一時代のピリオドがこの駅で打たれた。

国鉄の分割民営化後はJR北海道となったが、相前後して赤字ローカル線といわれた万字・幌内線は廃線となり、ヤードも縮小されて駅周辺は次第にさびしさを増していった。そして2000年の12月10日、不意の火災にあって北海道らしい汽車駅の姿を残していた岩見沢駅舎も全焼してしまった。ホームなどに面影を残してはいるが、いずれ新しい姿になって生まれ変わる時を待っている現在の岩見沢駅である。

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